けっして踏みたくはないアレ

 「地雷」は人類が産みだしたもっとも卑劣な兵器のひとつである。実際、今も地雷に悩まされている国や地域はたくさんある。
 そんな国の人々にとって地雷というのは、忌み嫌うべき物であり、また同時に不快なことばだろう。
 日本は一応平和だが(あの狂った首相一派のせいで今や風前の灯となっているが……)、その平和な我が国において地雷というのは、実感をともなわない遠い世界の話しでしかない。
 だから、地雷ということばを比喩的に使ったり、なかばギャグとして扱ったりすることにあまり抵抗がないのだろう。
 もちろん僕もときどき使うけれど、自分の口から発すると、目の前を特急列車が通り過ぎるように地雷の兵器としてのイメージが、瞬間、点滅しながら自分の頭をよぎるのである。
 それで……「地雷を踏んだ」話しをしようと思っていたのだが、地雷についての見解を述べている間にここまできてしまった。
 さて、この国の一般人が使っている「地雷」という「ことば」には、肉体的な殺傷能力はない。しかしときとして、精神的に深手を負う(負わせる)ことがある。
 地雷はその性格上、いつどこで出会うかわからない。
 もっともたくさん敷設されているのは、妻を持つ立場の者なら「家庭」と答えるだろう。たぶん。職場にも多そうだし、カップルや友だち同士にも当然あるだろう。
 楽しい会が一転して凍りつく場合もある。かつて、ある趣味のサークルの懇親会の場で遭遇したシーンでは、なごやかな場が一瞬のうちに急速冷凍されてしまったことがあった。
 その会のメンバー構成は年齢、職業とも幅広く、社会的地位が高い人も少なくなかったのだが、メンバーの何気ないひとことで突然怒り出したのも、そういう階層の人だった。
 日ごろは穏和な人当たりの彼の豹変ぶりに、同席していた10人ほどは驚愕し酔いも吹っ飛んでしまった。どう解釈しても激怒するほどの文脈ではなかった、というのが皆の一致するところだったのだが……。
 かように、しらけて参加者が不機嫌になって帰る飲み会もたまにある。地雷の威力である。
 まあ通常、傍観者にとって被害はさほど大きくない。しかし踏んだ当人にとっては、予期していたわけではないからかなりのダメージであろう。
 最近、飲み会に参加した全員が地雷原に踏み込む、というようなケースに遭遇した。
 会のなかでずっと懸案となっている問題が、ふとした話しの流れからシリアスな議論のような雰囲気になってしまったのである。
 誰が地雷を踏んだというわけではないが、一ヶ月ほど前に新しい地雷原を敷設したような役目を演じた僕にとって、まさに困った展開だった。
 ーー自分の言動には注意したいものである。調子のいいときはとくに慎重に、である。しばし反省。(;O;)
(photo:カンボジア、ベンメリアの遺跡にて。地雷の恐怖はまだ隣り合わせ)