夢のあとさき

 SUVタイプ(スポーツ用多目的車)の覆面パトカーを、ちょっと拝借した。
 ほんの出来心だった。エンジンをかけた状態の車が目の前にあったから、乗ってみただけだった。
 しばらく快適にドライブをした。罪の意識などなかった。パトカーだ、ということさえそのうち忘れてしまった。
 買い物をするためにコンビニに立ち寄った。店を出ると、車のまわりに外国人が数人佇んでいた。
 彼らは僕を認めると近づいてきた。まわりを取り囲まれ、ちょっと基地まで来てほしいといわれた。
 基地? ーー彼らは米軍だった。パトカーを拝借したことをとがめられるのなら、どうして米軍なのか、という疑問が浮かんだ。
 しかし、米軍基地は治外法権だから、あそこに連れ込まれては何をされるかわからない。
 僕は恐怖にかられ、彼らのスキをみて逃げた。心臓が破裂しそうなくらい、全力で走った。
 ーーそこで目が覚めた。そう、夢なのである。
 他人の夢の話しほど退屈でくだらないものはない。黒澤明なら映画のネタにもできようが、市井の凡人の夢などスーパーの買い物ポイントの価値にも劣る。
 こんな夢をみた意識下には、柏市で起こった通り魔事件と、最近読んだ『脱出記』(スラヴォミール・ラウイッツ著/ヴィレッジブックス/2007年刊)が影響していることに疑いはない。
 自分の、夢を形成する単純な意識回路には、今さらながらあきれかえってしまう。
 幸い米軍には拉致されなかったが、ただの市民が当局に拘束される時代が来るのではないかと、昨今のこの国の右傾化ぶりみるととても心配である。
 そういう世相の影響も、どうやら深層心理にあって、きわどい夢を見るのかもしれない。
 ちなみに件の『脱出記』は、第二次世界大戦中にソ連に拘束されシベリア送りになったポーランド人(著者)が、極東の収容所を仲間とともに脱走してインドまで徒歩で逃げる話しである。実話であり、全編想像を絶するエピソードの連続である。
 戦争の欺瞞性、人間の残酷性と、また、その生命力に驚かされる。「平和ボケ」などということばのくだらなさを思い知る。
 平和が一番だよ。(^^ゞ
(photo:札幌は雪だった)