一ヶ月の攻防

 ジェットコースターは苦手だけれど、さながらそういう一ヶ月だったように思う。
 今日は、阿呆のように頭が浮游している。セミの抜け殻のような、中身がどこかへ行ってしまったような感じである。
 ーー昨日で日本語指導が終わった。終わってみると、あっけなかった。没頭すれば、物事すべてそういうものかもしれないが……。
 希望→努力→挫折→希望→努力→挫折……の繰りかえしだった。なにせ相手に日本語は通じない。ニヤリと笑ってみても、最初のころ、連中の眉はピクリとも動かない。
 気持ちはわかる。日本へ来てみれば、とりあえずこんなくたびれたオッサンの顔を一日中見なければならないのかよ、と。同情もしておこう。
 しかしこっちだって仕事だ。しばらくすれば、眉はピクリと動き、頬はゆるみ、大口をあけて笑いはじめる。恥を捨て道化になるのも、日本語教師のつとめである。
 まあとにかく一日は長い。メリハリをつけて授業をしないと、連中はたちどころにおしゃべりを始める。もちろんネパール語だ。
 授業中はできるだけ日本語しか使わないようにしましょうね、とやさしくいっても、敵はわからないフリをする。
 机をたたいて豹変する。……なんてことはしない。それはNGだ。興味を持たせる工夫をする。ときにはゲームをする。しまいには、ゲームを楽しみにしているフシもうかがわれる。
 オッサンも3日で慣れてくれた。それで一ヶ月。毎日顔を合わせれば、5人の性格もわかってくる。それに合わせて指導もできるというものだ。
 昨日の閉校式では、5人とも見事なスピーチをしてくれた。多少内容は似かよっていたけれど、それはチームワークのよさと考えよう。
 冗談で提案した、日本の歌を歌うという余興にも乗ってくれて、『春の小川』を合唱してくれた。やるじゃないか。練習したことだろう。
 教師は感涙に……。いやいや、みっともない、そこまでは。
 5人のうち3人は、本国に小さな子どもを残しての渡航。3年間は帰れない。何もそこまでして日本に……と思ってみても、それは先進国の優越感。自省しよう。
 外国人と付き合っていつも思うことだが、国や民族が変われどもみんな同じ人間だ、といういたって単純なことに気づかされる。
 彼女らが、とにかく無事勤めてくれることを、祈るばかりである。
 ペリベトゥンラー!(また会いましょう)(^-^)
(photo:バクタプルにて)