マララの国とこの国

 あのタリバンに頭を撃たれた、パキスタンの少女をおぼえているだろうか。
 マララ・ユスフザイーー。一命をとりとめ、去年の秋にはノーベル平和賞の候補にもなったあの子だ。
 彼女の活動は筋金入りである。女性が教育を受ける権利を得るために、小さなときから女の子たちの先頭に立ってきた。
 その思想は父の影響が大きかったとはいえ、古い因習が支配するイスラム社会で女が声を上げることはむずかしい。ときには命がけでさえある。事実、彼女は命をねらわれた。
 それでもひるむことのない志と執念は、まだ10代とは思えないような精神力である。
 演説がうまかったためにノーベル平和賞をもらった、あのやっかいな国の現職大統領とは、はっきりとできがちがう。
 『わたしはマララ』(マララ・ユスフザイ著/金原瑞人、西田佳子訳/2013 学研パブリッシング刊)は、じつに刺激的な一冊だった。
 マララの足跡はもちろんのこと、パキスタンの現状を知るうえでもこの本は貴重である。
 彼女が住む北部パキスタンの平和な町が、しだいにタリバンの支配をうけるようになる、その経過が克明に記されている。
 日本とは何もかも異なるこの遠い国でのできごとは、一見僕たちと無関係に思えるが、舞台装置を日本仕様に置き換えてみれば、胃液が逆流するような苦酸っぱさをおぼえる。
 そんなふうに同化してみると、大衆がジワジワといつのまにか洗脳されていく様は、遠い発展途上国だけに起こりうるできごとだとはとても思えない。
 エラソーに天下国家を論ずる力もないが、この国もずいぶん危ないところにきているのではないだろうか。
 マララは、あたりまえのことをいっているだけなのだが、この国もしだいにあたりまえのことがいえなくなってきているような気がする。(-.-#)