年賀状の悩み

 毎年めんどう臭いと思いながら、やっぱりやめることができないのが年賀状である。
 以前にも書いたが、我が家を実家として世間にたくさんの子孫が散っていった関係上、つまりいろいろ親戚筋とつながっているので、あまり世の習わしに反することはできないのである。
 で、書くのはめんどうでも、もらった年賀状を見るのは楽しい。
 しかし、思い悩んで、英断をもって出さなかった相手から来た場合は、正直困る。
 あの何ともいえない心のゆらぎといいますか、心理戦に敗れたようなバツの悪さといいますか、そういう忸怩たる気持ちにおちいりますね。
 たとえば、思いがけずもらった年賀状はうれしいが、疎遠になったりうっとうしかったり、という理由から出そうか出すまいか悩んだ末の、その相手からの年賀状が「忸怩」に該当する。
 人の気持ちに背反する法則でもあるのか、出した相手からは来なくて、出さなかった相手からは来るケースが少なくない。それで、元日や2日はその対応に追われるのである。
 そして結局ズルズルと、年賀状だけの付き合いがつづくのである。心を鬼にして、出さない、あるいは、来たものを無視する、などという断固たる対応をしたい。と、毎年思うのだが……。
 それができないのである。年賀状をやめたい理由のひとつは、そういうところにあるのかもしれない。
 ついでにいえば、表も裏もすべて印刷、というのももらってありがたくないパターンである。プリンターで順次印刷しておしまいでは、DMとあまり変わらないではないか。
 一言添えるとか、せめて宛名は手書きにするとか、送り手(書き手)の息づかいが感じられるものがうれしい。
 そこにはやはり、しばしといえども相手を確認して思い浮かべたであろう、書き手のそういう状況が想像できるからである。
 しかし、出さなかった相手から、4日や5日になってようやく届いた、という場合の対応も悩むよなぁ。(-。-;)
(photo:上海朱家角にて)