神社へ行く人

 何を血迷ったのか、こんな時期にお宮参りとは……。
 できれば目立つことなく、こっそりと行きたかったかもしれない。
 いやまてよ。誰も気づかないのはマズい、それでは満を持してのパフォーマンスの意味がない。しかしとにかく、大日本帝国の進軍ラッパが頭に鳴り響いているうちに行かねばならない。
 と、彼は、世界やとくにアジア諸国から問題視されている、例の特殊で奇妙な神社に参拝したのである。
 しかしもうしばらく待てば、初詣の参拝者にまぎれて隠密裏に行けるではないか。いや、やはりそれでは具合が悪いのだろう。……話しがもどったなぁ。
 さて、日本人は無宗教を自覚している人が多いらしいが、神社は大好きらしい。
 初詣に出かけたり、あるいは、神社と関係が深い祭礼なども多いことから、神道は日本人の生活のなかに深く入り込んでいる。
 僕が生まれ育ったところも古くからの農村であり、集落の精神的支柱として神社があった。村落共同体としてのまとまりが崩れてしまった今でも神社はあり、僕たち氏子をゆるやかに拘束する。
 たとえばある日、僕がアラーの神に帰依し入信すれば(キリスト教でもいいが)、たちどころに共同体のメンバーから外され差別を受けるだろう。
 そのほうが気楽でいいような気もするが、狭量な田舎社会ではかなり生きづらくなるのはまちがいない。
 ところで、我が神社のご神体は「白山」である。山ですね。2702m。古くからの信仰の山として、日本三霊山のひとつとして有名なあの「白山」である。
 そういわれると、ちょっとありがたいような気もする。少し賽銭を上げようかな、という気になり、ついでにちょっと頼みを聞いてもらいたくもなる。日本人ですね。
 確かに白山は、この地方の自然サイクルの要として大きな役割を果たしている。その麓や裾野に恵みをもたらし、ときには台風などの気象災害からも守ってくれる。
 で、問題の神社に行った彼はいったい何を祈ったのだろうか。
 「戦争ができる日本に早くなってほしいのでごじゃます」などと祈ったのかもしれない。
 まあ、あっきーにオスプレイのプラモでも買ってもらえば?! (*_*)
(photo:福建省泉州市の承天寺