若くないといけないのか

 台所にはラジオを置いてあるので、朝晩に聴いたりする。
 朝起きてすぐにシャキっとする方ではないので、ぼんやりした頭でラジオを聴くわけだが、朝からハイテンションの番組には閉口する。とくに民放に多い。
 朝は元気なのはあたりまえだろ、今日も一日元気はつらつ(ん? どこかできいたような)、というか、元気じゃないと許さん、みたいな雰囲気が伝わってきていつもぐったりする。
 ならば聴かなければいいのだが、もしかしてこうしている今にも、身に迫る何か重大な事がヒタヒタと進行しているのではないかと、やはり気になるのである。
 そうしながらおもむろに新聞を手にすると、チラシの束がドサリと落ちる。そのなかには、アンチエイジングのためのサプリや美容関連のチラシも少なくない。新聞の広告のなかにも、その手のものがよくある。
 今にはじまったことではないが、日本では何かトシをとることが悪いことのように、若さがもてはやされている。
 若いことはすばらしいのである。商品やサービス、インフラや街づくりまで若者向け、せいぜいが中年世代までに合わせてできている。まあ、そのワリには若者に冷たい社会だがーー。
 これでは、年寄りが卑屈になったり逆上したり、暴走するのもムリはない。彼らは相対的に、今いちばんお金を持っているのだから、もっときめ細かくそっちに向けた商品やサービスを充実させたほうが内需拡大に貢献するのではないか。
 アンチエイジングはひとつの手かもしれないが、しかしどうも基本的なコンセプトがまちがっているような気がする。
 それは、「老い」を否定するところから始まっているからだろう。頑張ることを人に求める国民性に通じるところがある。
 テキトーじゃだめなのか。ぐったりしていてはいけないのか。ネクラじゃ嫌われるのか。後ろ向きでは社会不適格なのか。老人はじゃまなのか。
 そういう、人間のネガティブな部分もきっちり認めて寛容する世の中が、成熟した社会じゃないんかなぁ。
 もちろん法律はネガティブではいけない。特定秘密保護法などは、成熟に向けた社会を逆行させる超ネガティブな法律である。(-_^:)
(photo:寒くなって、カエルくんの姿も消えた)