丁寧に説明してほしい

 「ことば」の持つ重さや軽さというのは、ことばを発する人の立場や状況によってずいぶんと変わるものである。
 最近では、政治家が話すことばがことのほか軽い。立場をわきまえていないうえに、自身の口から出ることばの重さを認識していない。
 政府や与党の議員はとくに慎み深く、また、言動には注意しないといけないが、今やまったく野放しである。無法地帯といってもいい。
 たとえば、「失言」といわれるものは、それはそれである種わかりやすい。しかし、前言をひるがえしたり、開き直ったり、記憶喪失のふりをするような無節操さは、もはや品格を疑うしかなさそうである。
 そしてまた、ことばを、その意味を理解せず、なかば社交辞令的に使用するケースもみられる。こちらの方言でいえば、「ただゆ〜とる」ような感じだろうか。
 とくに最近気になるのは、「丁寧な」という形容動詞(国文法では)である。「丁寧な説明」とか「丁寧に説明する」、などというフレーズが頻繁に聞こえてくる。
 あたかも誠実な対応をとっているかのようだが、「丁寧な」はじつに軽いことばとして扱われている。それはじつは「丁寧にいい訳しますよ」という意味なのである。もちろん「説明」などはしない。
 もうひとつは、「国民のために」といういい方である。最近では、上から目線のイメージをさけるためか、「国民のみなさん」といういい方もよく耳にする。
 それぞれの立場によって「国民」のカテゴリーがちがうのだろうが、たぶん自分たちと仲間のことであろう。おおかたの国民は圏外なのである。
 かように彼らの日本語は不正確であり、隠語があふれている。そんなクイズを解いたところでしかたがないが、せめてどこかのニュースで翻訳してくれれば国民のみなさんもわかりやすいと思うんだがね。( -_-)
(photo:今帰仁村にて)