沖縄へ(3)
正直なところ沖縄というのは、にわか仕立ての訪問者の手に余る。
まずは難解な地名に悩まされる。古謝(こじゃ)、金武(きん)、南風原(はえばる)、北谷(ちゃたん)、今帰仁(なきじん)、中城(なかぐすく)……上げればキリがない。
ある程度琉球方言を理解していれば見当がつく場合もあるが、まったく手がかりがない場合もある。
たとえば「保栄茂」は、「びん」と読むそうである。まずは判読不可能である。しかし、ルール無用な読み方は、なにも沖縄でなくても全国に存在する。
おもしろいところでは、「真地」という地名。「まじ」と読んでもまちがってはいないかもしれないが、正確には「まあじ」らしい。
カーナビの女性が、「この先の信号、マージ、右方向です」と指示したときには、機械も親父ギャグをいうのかと、マジおどろいてしまった。
結局、へ〜、ほ〜、と、おどろいてばかりいるうちに沖縄の旅は終わってしまったのである。
そういう感覚は、外国へ行ったときのものに近いかもしれない。実際、米軍関係者と思われる人たちだろうか、そういう生活者としての外国人を見ることが多い。
城(グスク)にしても本土(といういい方がいいのかどうかわからないが)の城(しろ)とは構造が明らかにちがう。
グスクは、12世紀ごろに発生当初は石垣で集落を囲ったり、聖域を示したりしていたとされている。それが、近隣との争いの末、しだいに要塞化していったようである。
沖縄の風景にどうしてもなじめないものは、やはり米軍基地である。沖縄の空を我が者顔で飛び交う軍用機は、人の心を不安にさせる。少なくとも平和な風景とはいえない。
本島の半分ぐらいを大急ぎで回った程度だが、米軍は「いいところ」をほとんど占拠しているように見える。知識としてこのことを知り想像はしていたが、自分の想像力の貧しさを自覚した。
沖縄戦の激戦地、糸満市摩文仁に整備された広大な公園には、沖縄の地の戦闘で亡くなった人の名が刻まれている「平和の礎」がある。
まるでドミノのコマかと思われるような、おびただしいレリーフ群が整然と並んでいる。そこには、敵味方、民間人すべての、命を落とした人の名があった。(;_;)
(photo:本部町にて)