悪い空気の浄化方法

 少し前まで、日本では水と空気はタダだった。しかし、近代化とともに上下水道が発達した現在においては、水はタダではない地域が多くなった。
 とはいえ、蛇口から出てくる水は格安である。しかも、そのまま生水が飲める国や地域は、世界のなかでは希少である。
 ところがこんな日本で、わざわざペットボトルの水を買い求める人も増えている。
 一方、空気は相変わらずタダである。酸素が希薄な高い山へ行くときには、あるいは命を守るためにお金を払って濃厚な空気を用意しなければならないが、ふつうに生きていくかぎり空気を意識したりはしない。
 「空気のような存在」などというたとえがあるように、空気があるのはあたりまえであり、ときどき問題になるのは、その空気に混ざってくるものがあるからである。
 近年とくに問題になっているのは、中国のPM2.5(Particulate matter 2.5μm)であろう。極小微粒子なので捕集することが困難であり、人体への影響がかなり心配されている。
 そんなものを大量に含んだ「空気」は願い下げであるが、発生の原因はともかく、対処が不可能かといえばそうでもない。
 それよりもずっとやっかいな、無色無臭の「空気」がある。化学兵器ではない。いや、むしろそれ以上に怖いかもしれない。
 「世間の空気」というシロモノーー。
 臭いでも着いていればわかりやすいが、困ったことに、それは察して気づかなければいけない。僕のような鈍感な人間は、ときどき気づかないのである。そうすると、空気を読め、と諭される。
 そういえば「KY」という流行語があった。KYはネガティブな意味で使われていた。あまり歓迎されないようなニュアンスだった。
 そういう「世間の空気」は、フィルターで除去し清浄にすることが困難である。PM2.5のように誰もが不快なわけではないからだ。甘美で心地よく感じている人たちもいるのである。
 彼らは長い年月をかけて、自分たちの好みに合う空気を熟成してきたのである。なかなかの執念である。
 なんとか、すばやくこの空気を変える、魔法の「ファブリース」はないものだろうか。例の悪法を葬るためにさ。(^_^;
(photo:空見上げれば……。フィンランドの清浄な空)