ハロウィンの憂鬱

 年々「ハロウィン」がにぎやかになってきた。あちこちでカボチャの作り物を見かけるようになった。
 ハロウィンはもともと、古代ケルト人が秋の収穫を祝い悪霊を追い出す祭りが起源、という。
 昨今日本に広がっている、カボチャなどを飾り、子どもたちが仮装するというスタイルは、アメリカからやって来たようだ。
 やっぱりか……。アメリカ物をありがたがり、無自覚に受け入れるのは、いかにも日本(人)らしい。商売人が裏で画策しているのはわかっているが、それにしてもちと無節操ではあるまいか。
 ーー僕たちはいったいどこから来た民なのか?
 日本には伝統的な収穫祭というべき、「秋祭り」があるではないか。他文化を受け入れる前に、そっちを盛り上げ親しむことが大事ではないのかな。
 だいたいカボチャは日本では影がうすい。さほど食べられているとも思えない。日本人は米だろう。しかしまあ、米じゃあ迫力に欠けるかもなぁ。カボチャ生産農家は喜んでいるかもしれないが……。
 来年はさらにカボチャお化けが普及する、と思われる。そう思うとげんなりする。
 そしてあと一ヶ月もすると、アレですよ。例のアレ。Y下T郎の歌がよく流れる季節。いやはや憂鬱である。
 日本語を学ぶ外国人にはイスラム圈の人たちも少なくない。彼らに聞くと、キリスト教偏重傾向はやはりあまりいい気分ではないという。
 その気持ちはよくわかるので、彼らの年中行事も日本で導入すべきである、と僕は強く思った。
 そこで、今度彼らに提案してもらおうと考えている。でも、ラマダンだけはかんべんしてほしいけどね。(^_^;
(photo:雲南省麗江にて)