思い込みの穴

 外国人とかかわる活動をしていると、どうしても街で見かける彼らが気になってしまう。
 肌の色や顔の骨格のちがいは見分けがついてわかりやすいが、中国人や韓国人など、東アジアの人たちは話していることばを聞かなければ見分けがつかない。
 鈍感な僕もこれまでそういう傾向はあったが、最近では遠目にも、ある程度見分けがつくようになった。
 彼らがグループなら、かなりの確率でわかるようになったと思う。もちろん中国の大陸人か台湾人か、あるいは香港人かまではわからない。とくにひとりだけだと、どこの人なのかわからない場合は多い。
 いずれにしても、今や一定数の外国人が日本に居住している。彼らの日本や日本人に対する思いはそれぞれあると思うが、日本人が彼らに対して抱く思いというのはかなりステレオタイプ化しているところがある。
 ステレオタイプは、えてして偏見に発展し差別を生む。
 自分にあてはめれば、差別意識はないといえるが、ステレオタイプや偏見は、残念ながら自分のなかに認めざるをえないときがある。自分ではそうじゃないと思っていても、とっさには表出してしまう。
 いってみれば「正体見たり」の状態である。シッポを出した、といいかえてもいい。
 もちろん、石持て追われるようなことはなかったものの、はっと気づいたときにはすでにおそい。あとでがっくり落ち込み反省したことも何度かある。
 外国人と会うときは常に、そういったステレオタイプや偏見がないか、自分の心のなかを点検しながら接しているんだがーー。
 失敗を重ねながら是正されていくと思えば、今さらだけど、少しづつ成長しているといえるだろう。もっとも、立ち直りの早さもまた同時に身についたのである。
 しかしまあ、「思い込み」というのは侮れない。中国人はみなギョーザを食べ、韓国人にキムチは欠かせず、ベトナム人はフォーが大好き……。
 それはステレオタイプである。極端な一例ではあるが、マスコミや社会がそういったものを助長し、人々に埋め込むのである。気をつけなければいけない。
 先日、ときどきランチに行く中華料理店の入口ドアに張り紙があった。となりに新しくできた洋風レストランの駐車スペースに車を止めないでください、という注意だった。
 店の名前は「むちむち堂」。妙な名前だとは思ったが、脱力系のそのズレたネーミングセンスにかえって感心したのである。
 ひひと笑い、立ち去ろうとしてもう一度見ると、むちむち堂ではなく「ちむちむ堂」だった。思い込んで記憶して帰るところであった。(^^ゞ
(photo:散歩途中にて)