愛の力か?
バーのカウンターの隅でひとり酒を飲む。思索にふけり、グラスをぼんやりと見つめ、思い出したようにときどきフフとわらいほほをゆるめる。
男の哀愁がただよう、こういうシチュエーションに一時あこがれたこともあった。……ま、バッカじゃない? といわれそうですね。
しかし、考えてみると僕は、強い酒を時間をかけて楽しむタイプではなく、ひたすらビールをぐびぐびやるという、哀愁とはほど遠いスタイルなので、どうも自分には向かないかもしれないと思った。
未練がましく、パブならいいかもしれない、と考えてもみたが、わざわざパブへ行ってひとりでビールを飲むのもなんだかなぁ、とここでも思った。
結局、ひとりで酒を楽しむタイプではないのではないか、と早々と結論を得たわけであります。
ひとりで山へ行く。自由で束縛されず、自然を五感で感じ、自分と向き合う。そこには、得難いものがある。
しかし、この時を誰かと共有したいと思い、この景色をあの人に見せたいと思う。楽しかったけれど、どこか満たされない心の空白がのこる。
ひとりで外食する。おいしいと思う。毎日外で食べる。たぶんまもなく飽きてくる。お腹は満たされるが、不満がのこる。
どうしてそんな複雑な気持ちにおちいるのか。ひとりじゃいけないのか。もちろんひとりのよさや効用はある。でも、ひとりじゃないよさの核心はどこにあるのだろうか。
なんとなくわかっているようでうまくことばにできないでいると、先日フィットネスクラブで自転車をこぎながらぼんやりテレビを見ていたら、放送作家のK山K堂がいうのである。
人の奥さんがつくった「愛妻弁当」はおいしいか? って。
ひとつの示唆ですね。どんなにきれいで豪華でも食べたくはない。
なんだ「愛」か、とまとめてしまえるほど単純ではない。アメリカ映画なら、愛で地球や人類は救えるがーー。
まあ、何か人が発する力が人を動かす、というところだろうか。……今日のところは。
しかし、まったく答えを得られていないなぁ。アベちゃん、どう思う? (^_^;
(photo:チングルマ、秋の姿。立山室堂)