忘れたことにする

 こんなに早く涼しくなっていいのか、と思うくらい、ここ最近は過ごしやすい。何だか少しさみしく感じるのは、いかにも初秋の感傷である。
 あれほど暑さに苦しんだはずなのに、あのハイテンションだった夏の天候を懐かしく思うのだから勝手なものだ。いくら気候が変わったといっても、まさか猛暑が今またもどって来るとは思えないから、多少の心の余裕なのだろう。
 しかし、それはほんとうに心の余裕なのか、単に忘れようとしているだけなのか、身体感覚から遠ざかっているので実感を失いつつあるのか、定かではない。
 あの軍事大国の大統領についていえば、アフガニスタンイラクのことは忘れてしまったようだ。
 シリアの化学兵器使用についての真相はわからないが、ノーベル平和賞をもらった大統領は、とにかく戦争をしたくてうずうずしているようだ。よほどメリットがあるのだろうか。だけど、正義の味方でないことだけは、まちがいない。
 そんな世界情勢の最中、2020年のオリンピック開催地が東京に決まった。有力な候補地だったイスタンブールが国内問題で失速したので、敵失のようなかたちで転がり込んできたような感じだ。
 もとより放射能汚染問題をかかえ、ここへきて汚染水問題も明るみに出たタイミングを鑑みると、イスタンブールにつづいて脱落かと思いきや、である。IOC委員は、こんな状態の日本をよくも選んだものだと思う。
 しかしこれは、日本という信用を築いてきたブランドに対する期待値が、多分に含まれているのだろう。
 IOCも味なことをする。これでいいかげんなことが許されなくなり、汚染水を含めた放射能問題をきっちり処理しなければいけなくなるだろう。浮かれている場合ではないのである。日本は試されるのである。
 ややもすると、日本人でさえ福島のことは忘れそうになるし、放射能に対しても鈍感になってしまう。でも世界はけっして忘れることなく注視している、ということが今回の汚染水流失であらためて感じた。
 夏が暑かったことを忘れてはいけないのである。(__;)
(photo:戸室山全景。金沢市