ストラップの行方

 ガラケー、と呼ばれる携帯電話の肩身がせまくなってきた。
 今やどこを向いても、人々はスマホを片手に、もう一方の手の指で画面をちょろちょろ操作している。電車の中などでみな一様に同じ動作をしているのをながめると、見事ではあるがある種不気味でさえある。
 とてもすばらしい暇つぶしのオモチャ、といえそうだが、本を読む人などは徐々に絶滅危惧種となり、白い目で見られ迫害を受けるようになりはしまいかと、最近では一抹の不安をいだくのである。
 なにせ、人とちがう少数派がこころよく思われないこの国である。できるだけ、多数派からにらまれないようにしているのだが、ついついシッポを出しそうで自信がない。
 ところで、スマホを持っている人を見ると、ガラケーよりもストラップ着用率が低いようだ。ジャラジャラ着けている人はおろか、何も着けていない人がほとんどだ。ストラップ業界はさぞ売上が落ちたことだろう(確認はしていないが……)。
 以前の携帯電話は、いろいろできるがあくまで電話の延長だった。その点、スマホはパソコンに近い。
 携帯電話とパソコン、どっちが偉いか知らないが、電子機器間のヒエラルキーのようなものが存在していて、どこかその辺にストラップの分水嶺があるのではないか、と思われる。
 あるいは、なにかにつけ物にカバーをかけて保護するというか、いたわるというか、日本独自の「過剰包装文化」もスマホに適用されたのではないだろうか。そうすると、ストラップはちょっとじゃまになる。
 まあ、そういうストラップ文化はいかにも日本らしい。「かわいい」がもてはやされる文化につながるだろう。どこへ行っても、驚くほど他品種のストラップが売られている。
 しかし、携帯電話の不満は何といってもバッテリーである。おそらくスマホもそうだろう。ちょっと使うと毎日充電しなければならない。バッテリーが古くなるとなおさらだ。
 チマチマしたしかけやおせっかいな機能はいらないから、もっと電池の持ちをよくしてほしい。そっちに開発の心血を注げよ、とメーカーにはいいたい。
 ーー携帯電話やスマホは、ほんとうに便利か? ときどき疑問に思う。( -_-)
(photo:ヤマボウシの実。キゴ山にて)