8.15という日

 今日は「終戦記念日」。
 日本ではそう呼ばれている。中国では、今日は「日軍投降記念日」という。
 敗戦国と戦勝国の関係だが、呼称上においてはちょっとかみ合わない気がする。日本にとっては「敗戦記念日」ともいうべき日なのだが、そういう直接的な表現ではなく、戦争が終わったというニュアンスが強く出ている。
 屈辱的で一方的な「敗戦」というイメージはできるだけ忌避され、安堵感がにじみ出るような「終戦記念日」という通称がまかり通ったのかもしれない。
 この日までに、アメリカによって完膚なきまでに叩きのめされ、サンドバッグ状態に陥っていた日本は思考能力を失い、敗戦はもう既定事実として誰の目にも明らかだったのだろう。
 それゆえ、勝敗はどうでもいい、戦争はもうたくさんだ、という厭戦ムードにおおわれていたと思われる。
 そういう見方をすれば、「終戦記念日」というネーミングはしっくりくる。
 じつは正しくは、今日は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」という。
 はは〜ん、なるほど。ここであの問題のY神社が登場するのである。国会議員も、「みんなで」参拝に行くんだから、今日はにぎやかなことだろう。少しでも目立たないようにと、いじらしいというか、姑息というか、ごくろうなことである。
 それにしても、このY神社が日本のキモである。ドイツと決定的にちがうのがここだろう。中国や韓国とこの件については対話すらしない、というところが問題である。
 つまり今日は、一部の日本人にとっては、たんなるひとつの記念日にすぎないのだ。もう戦争はしないでおこう、平和憲法を守ろう、という勢力とは、この日の持つ重みがちがうのである。
 平和ボケ、といわれる今の日本は、あの戦争で犠牲になった人たちの上に成り立っている。しかし、平和ボケを恥ずかしいことのようにいいつのって、また次の「終戦記念日」に向かって気勢を上げている人たちがいる。
 まあ今日は戦没者に思いをはせるとともに、そんなことも、ふと考える。( -_-)
(photo:上海、浦東地区にて。2011)