ヒロシマの誘惑

 「最近どこか行きましたか?」
 「え〜と、ヒロシマに行ってきました」
 「え? 広島? どうでしたか?」
 「はい、とてもインタレスティングでした。先生は行ったことがありますか?」
 「あ、いや……じつはないんだよ」
 僕が日本語をおしえているH大学院大学の留学生や研究生は、偶然だろうが、今年に入ってたてつづけに広島へ行っている。
 集団で行ったわけではない。それぞれ個人の意思で、である。
 さすがインテリ層の連中だ。そういうところにやはり興味があるのだね、とばかりに感心した。
 しかし、まだ行ったことがない僕を見る彼らの目はあきらかに意外そうであり、見つめられると、こちらもいささか気持ちがうろたえた。だから、どこか言い訳めいたことを口にしたような気がする。
 広島、長崎は、日本人にとってある種の「メッカ」なのかもしれない。日本人自身はそう思っていなくても、外国人はそんなふうに感じているのかもしれない。
 しかし外国人といっても、たとえばアジア人(とくに中国人や韓国人)とヨーロッパ人はちがう感慨を持っているだろう。そして、たぶんアメリカ人は、まったくべつの気持ちを持っているハズである。
 太平洋戦争終結のために、「アレ」は必要だった。必要悪だったけれど、やむをえなかった。
 という考え方には決して汲みしたくない。そこに至ったプロセスこそ問題であり、それを検証し歴史の教訓として後世に生かさなくてはいけない。
 長崎には縁があって2度行った。はじめて行ったのは、学生のときだった。
 夜の街に出て、歩いているうちに平和公園にたどりついた。そこで人気のない公園の広場に浮かび上がった平和祈念像を、はじめて見た。
 近代史で勉強した、この町で起こったことが脳裏をかすめ、10月の夜気のせいかゾクリとした(かどうかは忘れたが、気持ちがざわついたのは確かだ)。
 「ーーこれ、おみやげです」
 心優しいタイ人留学生は、僕に「もみじまんじゅう」をくれた。かつて、自伝に登場する祖母が有名になった漫才師のギャグを思い出した。
 思わずそのギャグを口走りそうになったが、とどまった。
 「これはおいしいんだよね。食べたことがあるから知ってるよ。ありがとう」
 広島に行ったことがない僕は、そんなことをいった。(^_^;)
(photo:長崎の“グランドゼロ”に移された、浦上天主堂の一部)