友はブータンから戻った

 ネパールへはよく通ったものだ。はじめて行ったのは、もう30年以上前になる。あのときは、殴られたようなカルチャーショックを受けた。
 その一方で、日本人の郷愁を誘うような風景や文化は、なんだか居心地もよかった。しかし、サラリーマンの休暇を利用しての旅だったので、長居はできなかった。
 帰国後は、貧しいけれど豊かな国だった、などとわかったような感想を、ちょっと気取って周囲にもらしたものだ。
 今にして思えば、じつに傲慢で見下ろすような視点だった。若気の至り、といえば多少は見逃してもらえるかもしれないが、どこか僕も、お金持ちになった日本の、ある種のいやらしさを身にまとっていたのだろう。
 郷愁をくすぐられたり、ソフトな国民性やヒマラヤに魅せられて、ネパールは日本人に人気が高い。旅行者だけではなく、公的私的な援助もたくさん入っている。
 残念ながらいまだにネパールは貧しい国とされているが、援助の手が施しのようであったり、自己満足にすぎなかったりするような事例を聞くと、忸怩たる思いがする。
 生命線である南の大国インドの顔色をうかがい、ときには北の大国中国に気をつかい、最近ではアメリカの影もチラチラするネパールの政治運営は最高級難度だろう。
 そういう事情も一因だろうが、ネパールの政治はもうずいぶん長い間混乱し停滞している。
 ネパールと同じような地理的条件を持つ、ブータンという国がある。ネパールの東側、インドのシッキムを間にはさんだ、ヒマラヤ山脈の東端にかかる王国である。九州とほぼ同じ面積の国土に、70万人(2008年調査)が住んでいる。
 この国もネパールと同様、インドや中国との関係が国運を左右する、といっても過言ではない。ただネパールとちがうのは、外国人の入国(インド人を除く)や外国資本の流入にかなり制限をもうけている、というところだろう。
 ゆるやかな鎖国状態によって、自国の自然や文化を守っていこう、という政策のようである。2011年には、新婚の若き国王と王妃が来日して、ブータンブームを巻き起こしたことは記憶に新しい。
 そんなブータンで仕事をしている僕の友人が、先日一時帰国した。日本のODAがらみのプロジェクトで、インフラ工事に従事している。工事の主体は日本とネパールの合弁企業だが、彼は唯一の日本人として、ネパール作業員たちと寝食をともにしている。
 日本人がブータンを観光することさえ窮屈な規制が多い現在、業務のためあの国に滞在するということは、きわめて貴重な経験であろう。彼からもたらされた情報の数々もまた、貴重なものであった。
 「幸福度」が高い、とされているブータンではあるが、国民から世界の情報を遮断することはかなり難しい。
 ブータンの体制が国民にとって幸せなのか不幸なのか、僕にはわからないが、その国や国民が豊かなのかどうかは経済のモノサシだけでは測れない。
 得られる情報があまりにも少ないブータンという国。友人からの話をパズルのように組み合わせてみても、僕のなかではブータンという国が像が結ばない。
 とまれ、約1年ぶりに、いくぶん締まった体型で現れた友人は、再び現場へともどって行った。(^_^;)
(photo:ブータンの写真は当然ないので、ネパールで。カトマンズ