改憲潮流のなか

 ゴールデンウィークたけなわである。ニュースなどでは、家族連れやカップルの笑顔があふれている。
 天候にめぐまれ行楽日和がつづいているせいかもしれないが、まずは平和な日本の光景である。
 この国にも貧困層が拡大していることは承知しているが、全体的にみればまだまだ「豊か」であり、人々は「幸せ」のように見える。
 いいかえれば、日々暮らしていくうえでそんなに困っていることはないのである。小さな悩みはいくらかあるかもしれないが、少なくとも緊急で切実なものをかかえている人は少ないと思う。
 そうすると今、「憲法を変える」という必要性を感じている人はどれだけいるのだろうか。
 ーーなどと、3日の憲法記念日にこういうことを書こうと思ったけれど、今日になってしまった。
 最近は、アベちゃんたちが調子に乗って「憲法改正(改悪!)」を叫び、マスコミが宣伝したりすると、なんとなく人々の間にも「変えてもいいかな……」という空気が流れてきているようである。
 いうまでもなく憲法は国の背骨であり、とくに9条は「キモ」である。背骨をヘタにいじると身体のバランスが崩れてしまう。
 だから、かんたんにいじれないように高いハードルを設けているわけだが、これはあたりまえのことである。
 だけどけっしていじれないわけではなく、国民の大多数がそういう意思を示せば変えられるのである。
 つまり国民が「変えないといけないのかなぁ……」、という気分になれば堂々と手続きに入ればいいのである。今はただ、一部の人たちがダダをこねて騒いでいるにすぎないのである。
 まあそれだけならいい。しかしあろうことか、憲法96条という手続きにかんするところを変えようとしているわけだから、それは、試合に勝てないからルールを都合のいいように変えてしまおう、というようなじつに姑息なやりかたではないだろうか。
 休日の平和な光景の陰で “ゲシュタポ” が目を光らせている、というような世の中になるのは願い下げである。(-_-;)
(photo:写真は一回休み)