不適切な話題

 外国人に日本語をおしえていると、ときには政治や宗教方面の話しにかたむきそうになる。しかし、そこはあまり深入りしないのが大人の教師の対応である。
 デリケートな分野なので、本意でなくとも成り行きでまれに「失言」してしまうことがある。知識や認識不足のことばを口走り、誤解を招いてしまうのである。
 最近では、どこかの知事が大失態を演じた。あれはやはり完全な「失言」である。イスラムに好意的ではない、アメリカナイズされた思考だろう。しかも、当の反イスラムアメリカから批判をあびているのだから目もあてられない。
 しかしながら、人が生きているということは、政治・宗教と濃厚にかかわっているのである。
 とくに他国で暮らす人にとっては、自分が身にまとっているアイデンティティと、いま身を置く国の異質な空気とうまく折り合いをつけなければならない。
 外国で暮らすということは、かなりの葛藤をかかえながら生きるということだろう。
 だから、日本にいて外国人と話すときは、彼らの葛藤をできるだけ理解しようとつとめるわけだが、まあそこは限界がある。
 ときには、「釣魚島(尖閣諸島)は中国の領土です」などときっぱりと、政府の報道官のようにいい放つ中国人学習者もいる。
 いい度胸である。しかし、ここでまともに相手をしても双方納得して終わることは、まずない。話題を変えるのが大人の教師の対応である。
 他国にあろうが自己主張(政府の代弁?)はちゃんとする、という中国人もなかなかのものだ。アッパレである。
 僕もそうありたいと常々思ってはいるが、中国で暮らしていたころはとてもそこまでの度胸はなかった。というか、理論武装はできてもそれを伝えるだけの語学力がなかった……といういい訳をする。
 まあたいていは玉虫色の「大人の対応」をしてきたのだが、まちがっていたとは思っていない。
 しかし、政治よりも宗教のほうが「地雷」が多い。どこが「地雷」だったのか気がつかない場合もあるから始末が悪い。(__;)
(photo:全国的に注目を集めるライトレール。富山市にて)