日曜日の「傾向」

 日曜日午後の日本語教室は、学習者が何人やってくるのかわからない。だいたいいつも7〜8人だが、固定メンバーは限られる。貴重な休みに予定もあるだろうし、その日の天候によっても大きく左右されるのだ。
 まあ、休みの予定がつまっているとは思えない。それに、ほとんどの企業研修生はお金がないので、移動の手段は基本的に自転車である。
 兼六園へ花見に行きたい、というので道をきかれた。チャリで行くつもりらしい。なかなかの根性である。でも、片道10kmに満たない距離だからムリではない。とはいえ、クルマ慣れしている僕たちはちょっとおどろく。
 そんな感じの日曜日だが、先日の教室は中国人の若者4人だった。天候のせいもあるのか、全員男。
 気の利いた予定でもなかったのかい? と突っ込みたくなるが、雨風の日にやってくるだけでも感心である。
 ときには、シェルターかサロン感覚で来ている連中も見受けられるで、教師の熱意が伝わらないこともある。
 「日本人はどうして桜が好きだと思う?」ときく。連中は、う〜ん……と考えるフリをするが、興味なさそうである。
 かつて、アジア人と欧米人の反応のちがいを口にしたら、それはステレオタイプ的な考えでまちがっている、と大学の日本語教育の先生にしかられた。
 しかし、国民性や民族の特性というのはやはりあると思うので、画一的な見方をするつもりはないが、そういう「傾向」はあると思っている。
 たとえば、ある国では人間を「性善説」でとらえ、またある国では「性悪説」で考える、というようなことはあると思う。それは国民性や民族性に関係することではないだろうか。
 さて、「ある国」とはどこだろうか?
(photo:同じく松川にて)