言語異国体験

 先日珍しく仕事で富山県へ行き、とある私鉄電車に乗るために、ある駅の待合でぼんやり時間をやり過ごしていた。
 先客のじいさんがひとり所在なげにすわっていたのだが、しばらくすると連れ(あるいは顔見知り)と思われるばあさん4人が入ってきた。
 するとじいさんは、それまでの退屈感を取りもどすかのようにばあさんたちに話しかけた。ばあさんたちも、それに呼応するように大声で話しはじめた。
 彼らの声はいやおうなく僕の耳に入ってきたが、当初はあまり気にかけてもいなかった。
 ところが何かふしぎな感じがしたので、身を入れて聞いてみると、どうも話している内容が理解できないのである。
 僕は疲れているのか、あるいは脳のどこかが異常をきたしてしまったのかと不安になって、楽しげに会話している老人たちを見つめた。
 頭のネジがトシとともにゆるゆるになってきているのは自覚している。きっといつかどこかで、カランという音をたててはずれていまうかもしれないな、と日頃から思っていたのだが、まさかこんなところで……という思いだった。
 しかし真剣に聞いてみると、会話のなかの日にちや数字はなんとなく聞き取れるのである。ーーということは、ネジではないのであった。
 方言ーー。これほどすさまじい方言を耳にしたのは久しぶりだ。しかも隣県である。地理的に遠くないにもかかわらず、これはすでにべつの言語である。
 そのことにおどろきはしたが、それよりもうれしさのほうが勝った。よくぞここまで、というか、文化としての言語をよく守ってきたものだ。
 そういう、おじいおばあが持っている「地域の底力」のようなものを日本は大事にしなくてはいけないだろうな、と思った。
 そう思うと、よくわからない横文字を話しの随所にはさむ政治家や官僚は品がないよなぁ。(*_*)
(photo:ランチにビールは最高)