失った “分身” にまつわること

 去年の秋、中国へ行った帰り、上海のホテルの部屋に腕時計を忘れてきた。帰国してから気づいたのだが、あきらめて問い合わせをしなかった。
 家人は、ダメもとで電話してみたら、といっていたが、かつてホテルの予約をキャンセルする電話を入れたときの疲労を思い出し、ダイヤルする手が止まった。
 なにせ、キャンセルよりややこしく込み入ったことを話さなければいけない、と思うと気持ちがなえたのだ。ーーいやはや情けない。
 失った腕時計は、野外仕様のいかついデジタルタイプのもので、10年来のアウトドア友だちだった。だからとても惜しいのだが、そのような状況の遺失物が、日本以外ではもどってくるのはまれだ、ということも知っている。
 じつは、腕時計はいくつか持っている。とくべつマニアではないが、やはりああいう精密機械にはこころ惹かれるところがある。使い込むうちにいつしか、「おまえも、ういやつよのう」などと独りごちたりするようになるのである。
 ふだんは、スイス製の機械式自動巻タイプの時計を愛用している。
 「これを売ればしばらく生活できるはずだ」……などといって腕時計を外し、カッコよく女のもとを去る。ーーというシーンを、何かの映画で見た。
 あれはスイス時計だった。
 ま、しかしそういう状況がおとずれることはないだろう。僕のはスイスの航空機用計器メーカーが作ったものだが、残念ながら、ん十万の高級時計ではない。売れば、カップ麺をすすりながら少し生き長らえるくらいのお金にはなるだろうけどーー。
 さてそれで、失った時計のことなんだけど、やはり日に日に後悔がつのった。どうして全力で連れもどさなかったのか、と。
 やさしい人に拾われて、どこかで達者に生きていてくれればいいが、売り飛ばされて場末の闇で時を刻んでいるかもしれない。
 ーー失った我が身の “分身” の面影が覚めやらぬうちに、必要にせまられて、最近新しい “分身” をむかえた。
 能力が高くとても優秀なやつだが、やはりまだ腕になじまない。(^_^)
(photo:富山電鉄、下立駅にて)