あれから2年か…

 3月11日に何か書こうと思ったけれど、いったい何を書いていいのかわからなかった。
 いや、書けることはいくらでもあるが、2年という時間が経って冷静になると、ますます書けなくなってきたような気がする。
 じつは、どうしても関心が原発のほうにいってしまっていたので、震災や津波被災地のことを、ときには忘れていた。
 それはやはり、何か自分ができることをしなくては、と思いつつも結局何もしてこなかったに等しいから、被災地に寄りそった身体感覚がないからだろう。
 被災地の人たちと同じ時間を過ごしてはいても、時間の概念や重み、質、あるいは感覚までも、おそらくまったくちがうものだろう。
 同じ日本人だけれど、そういう人たちとどうやって接したらいいのか整理がつかず、けっきょく遠巻きにして見守ってきた。
 躊躇なく乗り込める人たちが、ある意味うらやましい、とさえ思った。もちろん、そのような人たちがまず必要なことはわかっている。
 ーー復興は、はじまったばかりである。これからまだ長い時間がかかるだろう。
 混乱期に僕は何もできなかったけれど、2年経つと自分ができそうなことが見つかりそうである。非力なので、大げさなことや目立つことはできないまでも。
 まあ、被災地への敷居が少し低くなったのだろう。
 3.11以来、日本人は少なからず変わったのはまちがいない。それは一人ひとりちがうかもしれないが、そのベクトルが大きく合わさって、日本の進行方向が変化したことだろう。
 なにぶん、「まさか」は起こりうるということを理解し、こころの「たが」がひとつ外れてしまったのだから。(*_*)
(photo:あの日僕はこの町にいた。福建省泉州市)