少年に巡り会う

 油断したのがいけなかった。きっとスキがあったのだろう。うっかり、中国人小学生(中学年)の日本語指導を引きうけてしまったのだ。
 成り行きとはおそろしい。たまたま用事があって、僕が所属する国際交流協会の事務所にいたら、とある自治体の担当者から電話があった。
 事務所の職員から、日本語の件ということで電話を回され、先方の話しをきいているうちに、とにかく事情を聞くために出向くことになった。
 翌々日、断るつもりで出かけた。少しはなれた自治体だったので、それを理由に丁重にお断りする腹づもりだったが、打ち合わせに出向いた時点ですでに負けていたのである。
 片道車で1時間程度かかるうえに、学校側は予算がなくボランティアならという。ただ、交通費と若干の謝礼は保護者が負担する、という条件である。距離的なこともあり、よほどの熱意がないかぎりこれでは少しきつい。
 できれば毎日2時間ぐらい、という母親の希望だった。いくら仕事がヒマな身とはいえ、毎日往復2時間通勤のボランティアは手にあまる。
 こちらの事情を伝え、当国際交流協会としてはスルーするつもりだった。
 先方はおそらく地元を手始めに、徐々に周辺に範囲をひろげ、関係機関に順次問い合わせをかけていったのであろう。
 そんな状況は想像できたが、役所の担当女性の熱心さと、同席した中国人少年のきりりとした純粋な表情を見ていると、断り切れなくなってしまったのである。
 ーー週に2日、1限目から3限目で了解してしまった。少年の周囲は、とにかく前に進みたかったのだろう。
 外国人児童相手の日本語指導のむずかしさは、母語さえ定着しきっていない状態に外国語を入れる、というところにある。僕は外国人児童相手の専門家でもなかったので、責任は持てなかった。
 件の少年は去年9月の来日以来、日常の会話はかなり習得できており、こちらに来てから在日中国人の指導で日本語の補習を受けていた、という。
 ゼロからではないという事実が、僕のほうにスキをつくってしまったのかもしれない。
 しかし、この事例に限ったことではないが、学校や教育委員会の外国人生徒受け入れ体制は、ないに等しい。とにかく、多忙をきわめる教育現場の先生方にとっては大きな負担なのである。
 さて少年だが、マンツーマンでやはり3時限はがまんできなかった。半分はいっしょに遊んでいるのである。おじいさんのような「先生」は、それはそれで楽しいんだがーー。(^_^)
(photo:庭の牡丹も陽気にさそわれ活動開始)