知らないイスラムの世界

 アルジェリアの人質事件が長びいているが、一刻も早い収拾を祈るばかりである。
 ーー僕たちは一般的にイスラム世界に対して、「怖い」とか「不可解」とかいうステレオタイプなイメージを抱きがちである。
 それは、マスコミなどメディアのせいにほかならない。彼らは、欧米基準のキリスト教的価値観の世界からしイスラム圏を報道しないからだ。
 だから当然そうなるのである。せめてカタールアルジャジーラなど、イスラム圏からの報道も並行して流さないと、バランスのいい判断はできない。
 「アラブの春」という民主化運動もそうである。民主化は悪いことではないが、ほんとうに一般庶民にとって開放的な世の中になるのか疑問である。単に欧米列強の都合のいい体制になるのでは意味がない。
 ところで話しは、突然グローバルからローカルになる。
 日本語教室の学習者のなかにはイスラム教徒もいる。彼らには年に一度「ラマダーン」という厳しい修行、というか、義務がある。それは「断食月」のことで、去年はちょうど7〜8月の暑い時期に該当していた。
 ある日の授業で、彼らが精彩を欠いた表情(当然である)をしていたので、僕はうっかり「暑いんだからがまんしないで水ぐらい飲んだらどう」、といってしまった。
 他意はなかったのだが、失言だろう、と糾弾されれば、後ずさりしてうなだれるしかない。
 敬虔なイスラム教徒の彼らはさして表情も変えず、大丈夫だ、と答えたが、彼らの宗教的崇高な領域に、僕はたぶん踏み込んでしまったと思う。
 うかつで粗忽な人間であることは自覚しているが、「先生」から「無知でバカなオヤジ」へと一気に評価が暴落した一瞬だった。身から出た錆びである。
 ーーえてして、「多数者」は「少数者」への配慮を欠く。多数の側に位置していると、どうしても鈍感になってしまう。
 僕のつたない中国での経験を振り返ってみても、「少数者」の敏感な感情は理解しているハズだったのだがーー。まだまだ修行が足りん、と指を差されれば、ここでも後ずさりしてうなだれるしかない。
 異文化を理解するのはなかなかむずかしい。まずは、十分な情報を得て相手を知ることである。
 ステレオタイプから偏見に発展するとやっかいである。喫緊の問題は、対中国、対韓国だろう。
 しかしなぁ〜、最大の障害はアベちゃんだな。(-_-#)
(photo:またまた、鳥も食べない冬の実)