運のモンダイ

 めんどうくさい年末仕事のひとつに、年賀状作りがある。やめてしまった友人・知人も少なからずいるが、ほんとうにうらやましい。
 やめてしまえばいいのだ、と思いつつも世間のしがらみや一族郎党の手前、なかなか実行できない。ていうか、やめたやめた! と宣言してしまえばいいのだが、“異端児” になるのもまたそれはそれでけっこうめんどうなことなのである。
 でも、もらえばもらったでうれしいものだ。そのときは、出してよかった、とさえ思う。それに、官製年賀ハガキはお年玉付きだから、あとで楽しみもある。
 もっとも、半世紀ほど年賀状と付き合ってきたが、我が家は下3ケタ以上の賞に当たったことがない(らしい)。クジ運にははなっから見放されているのだ。
 そんな体たらくにもかかわらず、家人は年末ジャンボ宝くじを買ったという。聞けば、せいぜい記念品になるくらいの投資だった。
 一時の夢が買えれば安いものだが、夢が現実になればおそらく人生が狂う。宝くじは、そういう破綻者を少なからず生みだしていると思う。
 僕も自信はない。6億円を手にしたその瞬間、理性のネジが数本弾け飛んでしまうだろう。ゼロがいくつくっつくのかにわかに理解できない田舎のオッサンにとって、それは狂気への入口とイコールだ。
 もっと1,000万円クラスの当選者を増やせば確率も高くなるし、また、それくらいじゃあ人生も狂わないハズだ。
 ところで、セルフのガソリンスタンドの値引きクジや家電量販店の来店ルーレットでは、ときどき上位の賞が当たるのである。金額のほうはタカが知れているがーー。
 まあ、その程度のクジ運である。でも、そんなところで手持ちの運を使い果たしてしまわないか、やや心配ではある。(+_;)
(photo:雪の季節である)