旗色を明らかにすれば…

 たとえば、9.11の後、当時のアメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュは、アフガニスタンを攻撃するにあたって、日本に対して「Show the flag!」と叫び、旗色を鮮明にするよう恫喝した。
 「Show the frog!」というパロディもあったが、断然そちらのほうが平和的である。食用のウシガエルでも贈呈すればいい。ーーしかしあれは、もともと北米原産だったか。
 さて、もう少し身近で考えれば、職場内のインフォーマル・グループがわかりやすい。職場は、もともと好きで集まった集団ではないので、内部にかならずいくつかのグループができる。
 一定の縛りがある組織内では、そういったインフォーマル・グループのいずれかに所属していないと居心地が悪い。ときには不利益があったりする。
 一方、職場をはなれた地域社会や任意団体になるとどうだろう。インフォーマル・グループは存在するかもしれないが、利害関係や野心がなければ、所属しなくともさほど不都合はないだろう。
 つまり、身過ぎ世過ぎの切迫度によって、旗色を明らかにするかどうかがちがってくるのである。
 しかしいずれの場合にも、個人の政治的な主義主張やイデオロギーを明らかにする機会はほとんどないし、その必要もない。切迫度もたいていない。むしろそういう旗色を鮮明にすることによって、いらぬ軋轢を生んだりするのである。
 そういう、政治方面の話題を避ける土壌が、政治や政治家を劣化させたのではないだろうか。
 かつて聖徳太子が唱えた「和を以て尊しとなす」は、議論やディペードをさけて「和」を優先しろ、という意味ではないはずである。
 議論や討論をすれば、意見を憎んで人も憎む、という傾向におちいるのは国民性か、あるいは未成熟な社会か。
 ーーとりあえず、旗色を鮮明にして投票に行こう。今回は、かなりの切迫度だと思うよ。(^^ゞ
(photo:どこへ行っても旗色は鮮明だった)