混乱と変化と

 のんきにパンダのことなど書いていたら、我が国の政界は大混乱しているではないか。ちょうど中国にいたときに、衆議院解散のニュースを知ったのである。
 なんとか解散を先送りし年を越し、あわよくば任期満了まで引っ張ろう、という魂胆が透けてみえたNOだ首相だったが、この急激な変心の裏にはいったい何があったのだろうか。
 まさか、支持率最低の世論に押されてとか、脱原発の市民の声に抗し切れなくなったとか、そういう殊勝な理由はどうも考えにくい。それでは、厚顔無恥の看板が泣くというものである。
 それにしても、ここまで来てこの時期はなかろう、と思うような唐突さである。民主党の幹部連中が生き延びようと、なにかたくらんでいるとも思えるきな臭さも感じるのである。
 アメリカの大統領選挙も終わったようだ。あれは、どちらがより「マシ」かというような、後ろ向きな選択をしいられるつまらない選挙だった、と僕は思っている。もっとも、奴属化している我が国はなされるがままであるがーー。
 一方、となりの大国の指導者も交代した。お顔だけを拝見すればそうも見えないが、とにかく若返ったようだ。
 願わくば、彼は「親日」であってほしい。しかし、バックにはあの不人気をかこった元総書記がついておられるので、それはひとつの不安材料である。
 中国も以前のようなカリスマ指導者ではなくて、先代からサラリーマン指導者に変わってきている。つまり、集団指導体制なのである。トップの一存で物事が決まることは少ないのである。
 今回の中国のトップ交代は、内定を勝ち取った方の出来レースだったのだが、アメリカの指導者の行方より報道がぐっと少ないのもいかがなものか、と思う。
 その中国では、この前偶然見たCCTVの番組で我が国の政変が大きく取りあげられ、特集が組まれていた。
 やはり、右傾化が最大の懸念事項のような報道だったが、日本の行方に彼の大国もやっぱり無関心でいられない、ということをあらためて認識させられた。
 とにかく、小さな一票を行使できる機会が近づいてきた。しかし、政党という看板が信用できなくなってしまった今、いったいどうすればいいのか。信用できそうな政党は、およそミニ政党だし。
 人物本位で選ぶしかなさそうだが、地方の選挙区ではあまりにも選択肢が少ない。
 日本人は、あっちかこっちかの二者択一思考ではなく、もっとグレーゾーンが広かったはずである。やっぱり今の選挙制度は合っていないのではないだろうか。(-_-;)
(photo:福州市にて)