開発の魔の手とこれから

 泉州市内から、小さな弾丸路線バスに乗って1時間、安海鎮安平にやって来た。
 ここには、「安平橋」という有名な古い石橋がある(2010.11.2の記事参照)。この橋の特長は、とにかくその規模だ。類をみない長さである。
 橋は、僕のお気に入りの場所だった。何回か通った。しかし、行くたびに景色が変わっていくのである。残念ながら、再生不可能な方向へ。
 潟のなかを橋が通っているのだが、その潟の水はなかば干上がり両岸の木々は伐採され、開発のためか、大型ダンプが土煙をあげて行き交う。
 おそらくこの歴史的建造物は残るのだろうが、これだけ保存したところで価値は半分以下である。まだしも、博物館で展示してもらったほうがいいかもしれない。まあそれは実際不可能だから、橋を中心にして「きれいに整備」する計画かもしれない。
 いずれにしても、あの素朴な安らぎにみちた環境はもうない。それは、旅人の感傷にすぎないかもしれないが、はたして地域の人たちも望んでいることなのだろうか。
 橋の途中にあずまやがある。ちょうど一服したくなるような地点にしつらえてあるので、いつもここの橋の欄干に腰をおろし、ぼんやりと過ごす。
 今日はそのあずまやから、手を振る人の姿が見える。地元出身の教え子である。もっとも、教え子といったところで、若い彼らにとってかつての「先生」なんてものはとっくに過去の人である。僕はずいぶんトシのはなれた「友だち」、という関係にさせてもらうしかなさそうだがーー。
 彼女は今、福建省省都、福州の大学に通っている。もちろん日本語専攻である。小柄だが、ひとまわり大人になった彼女は、上達した流暢な日本語で話しかけてくる。
 ふたりの日本人の友だちといっしょだ。大学で知り合ったそうである。日本人の彼女たちは、もちろん留学生である。こちらも流暢な中国語をあやつる。
 一向に上達しない自分の中国語を密かに恥じながら、若い「友人たち」としばらく談笑した。
 しかし、すでに心地よい環境を失ったこの場所は、埃っぽさと騒音にがまんしてまで腰を落ちつけるところではなかった。
 国境や領土問題を越えて、屈託なくしなやかに笑う彼女たちがせめてもの救いだった。若い世代に託すしかなさそうである。ちょっぴり、オジサンの感傷をうけとめてくれればうれしいけどね。(O_O)
(photo:上は、2010年10月の安平橋。この潟の水と木々がない状態を想像してください。うかつにも今回は呆然として写真が撮れなかった。下は、橋の周辺の壊された古い町。これも2011年6月)