さて、渦中の中国

 センチメンタルジャーニーーー。
 なんていうことばは、思い出を真綿で大事にくるんだような、ナルシシズムあふれる旅行のことだろう。文字通り感傷的で、また、じつに魅力的ではないか。
 そういう旅を否定しているわけではない。必要な場合もあるだろう、とさえ思う。文学的思考をめぐらせれば、奥行きが深い思索の旅ともいえる。
 しかし、できればこんな旅はしたくないな、とも思う。
 多少気持ちの葛藤はあったかもしれない。そうでないと否定しつつも、かつての地に立ってみると、なにかしらの感傷がわき上がってくる。
 それはしかたがない。1年間住んだところだから。感傷だけで再びやってきたのではない、と納得しつつも、また足を運んだ理由があとでとって付けたものではないかと、いくぶん自信がゆらぐ。
 かつての学生たちと約束したから、というもっともらしい理由を持ち出したところで、半分は社交辞令である。……いやまてよ。中国人に社交辞令は、あまり通用しないことは承知しているがーー。
 そういうわけで、僕は今、中国福建省泉州市にいる。1年とちょっとぶりである。
 街の様子、匂いや空気は変わらないようにみえる、表面的には。人の流れは以前通りだし、ルールや暗黙知もそのままだ。上海からの深セン航空の便も、約束通り遅れにおくれたし。中国国内便の慢性症状はあいかわらずだった。
 それでも、よくよく目を凝らすと、かつてより確実に町は変化している。もちろん、町並みの変化や人々のライフスタイルは、目にしてわかりやすい。
 しかし、そんな表面的なことではなくて、何かねばっとしたものが少し薄れたような感じなのである。多少淡泊になったというか。ポジティブにいえば、少し洗練されてきた、というべきか。
 まあそこは、日本では味わえない「発展」の姿なのかもしれない。さしずめ日本では、老人が増えて真逆の印象になりかねないがーー。
 そんなこんなの感覚が入り乱れて、何か落ち着かない泉州なのである。(¨;)
(photoは次回こちらの画像で掲載します)