面倒臭い世の中

 この夏観た映画『キリマンジャロの雪』(ロベール・ゲディギャン監督/2011年/フランス)は、フランス映画にしてはわかりやすかった。
 ーーなどというとその方面の人にしかられるかもしれないが、僕のなかでは、えっ?ここで終わりかよ? というのがフランス映画のイメージであった。
 2階へ上がれといわれてワクワクして行ってみると突然ハシゴを外された、というような気持ち。
 あるいは、フランス料理店へ行ってとりあえずビールで乾杯したが、ビールはもうありません、といわれたような気持ち(このたとえはよくわからんか……)。
 つまり、起承転結の「結」がスパッと省略されている。あるいは、最初から起承転結など意識していない作り方だったりするので、気持ちが便秘状態で映画館を出てくるわけである(すみません)。
 そんなフランス映画であるが、困ったことにときどき観たくなるのである。ときどき、ではないな。たまに。
 フランス映画は、ハリウッド映画のように人物設定のメリハリが強くなくて、平準的で人間の「臭み」が、昆布か鰹のダシのようによく出ているような気がするのである。
 だから当然、勧善懲悪ごときパターンとは無縁であり、観た後に尾を引くのである。
 もちろんひとくくりにするつもりはない。まあ、映画館を出てふっとため息をつくような映画がいいのかどうかわからない。
 しかし、最近のハリウッドが生彩を欠くのは、混沌とする現在の世界にただよう “昆布や鰹” をうまくつかんでいないせいではないか、と思う。
 そのあたり、最近の邦画は上手である。あたりまえだが、善は単純な善ではなく、悪もわかりやすい悪ではない。若者は元気で明るいわけではなく、老人はけっして達観していない。ーー人物設計が行き届いている映画が多い。
 『相棒』というテレビドラマがある。毎回1話完結である。でも、わずか1時間の物語のなかに、それなりに人間が描かれている。しかも、善か悪か単純に判断できない人物像である。
 脚本が練られているように感じる。警察賛美でないところも、またいい。
 でね、困ったことに、ときどきハリウッドのスカッとする映画も観たくなるんだよねぇ。毒されているかもしれない。
 スカッとすることをいう政治家も要注意である。( -_-)
(photo:う〜ん、特定できなかった花。庭にて)