弁士となった夜

 30〜40人の学生を前に授業をするのと、聴衆を前に一方的に話しをするのとでは、やはりずいぶんと勝手がちがった。
 ずっと以前のサラリーマン時代にはそういう経験もあったが、今回はあたえられた時間がまったくちがう。
 昨夜、僕は地元の国際交流協会主催のイベントで弁士を務めた。テーマは「日本語を学ぶ外国の若者たちー中国編ー」。
 中国で体験したことを喋ってくれと、役員の方から今年の春ごろにいわれた。しかし、なにも不良日本語教師のヨタ話しを、善良な市民の貴重な時間を拝借して聞いてもらうのもいかがなものか、と思って即座にお断りした。
 今日びはもっと重要な、市民にとって喫緊なテーマの話しをされる方のほうがよろしいのではないかと、僭越ながらいささかの老婆心もまじえ、恐るおそる申し添えさせていただいた。たとえば、震災や原発、ユーロ危機とか日中関係とかーー。
 しかし、役員をされている善良なご年配の女史は、僕の危惧や提案には一瞥もくれずさっさと日程を組む作業にはいられた。
 己の仕事も彼女のようなそういう強引さが足りないのかなと、妙に感心し反省しているスキに、固辞する気持ちが切り崩され実効支配されてしまった。完敗だ。
 観念して、今月にはいりようやくプレゼン資料を作りはじめた。プロの「講師先生」ではないので、当然パソコンでスライドショーをしながらの話しとなる。
 成功はこれの出来いかんにかかっていた。なにせ前出のような大上段なタイトルがあたえられていたので、多少のプレッシャーもあった。
 性格的には「あがり症」である。それはたぶんに、失敗を恐れる気持ちからきていた。しかしトシとともに、ある程度テキトーに開きなおる術が身に付き、以前ほどあがらなくなった。
 そうして、一生懸命テキトーに、1時間の持ち時間を終えた。
 聴衆のみなさんに、得るものがあったかどうか自信はないが、自分の中国での1年を振りかえりまとめることができたのは、件の強引女史のおかげである。(O_O)
(photo:福建省徳化県にて)