不適切な話題

 アメリカの大統領選挙の報道が、よくニュースに上がってくる。他国のトップを決める選挙の「途中経過」が、これほど頻繁に報道される国も珍しいのではないか。
 さすがともいえる「属国」ぶりである。いや、属国だからこその関心だとすれば、それも納得がいく。
 この夏、僕が参加している地域の国際交流協会の外国人交流員が交代した。アメリカ人の若い彼は、日本人がステレオタイプに抱くイメージとは少しちがって、思慮深くそして過度に自己主張はしない。
 ルーツをきけば、いろいろな民族の血がまじっているという。ハンバーガーやコーラが好きだ、というところはいかにもアメリカ人だがーー。
 彼の歓迎会のとき、彼は場の自然なふんいきのなかで、母国の大統領戦の話題を持ち出した。
 メディアがたびたび流すので、僕たちの意識のなかにもスッと入って来る話題だったが、考えてみるとずいぶんおかしなことである。
 一般庶民の日本人が外国へ行って、たとえ日本と関係が深い国の人たちに向かってでさえ、日本の次期首相候補の話題を持ち出すだろうか。
 もちろん、アメリカ大統領と日本の首相とでは、国際社会にあたえる影響力が天地ほどちがう、という問題はあるがーー。
 くだんの彼に異を唱える気は毛頭ないが、問題はその話題に何の抵抗もなく入ってしまう僕たちの側だろう。
 しかしまあ、その問題は根深いのでここではパスしとこう。
 で、彼のもくろみは結局果たせなかった。つまり、話しは受け入れられたが、話題が発展せず盛り上がらなかったのである。
 女性が多かったということもあるが、宴席での話題として日本人は避けたのである。
 これもひとつの問題ではある。日本では、フォーマル、インフォーマルを問わず、グループにおいては「和」が大事である。そういうサークルのなかでは、政治、宗教の話題はほとんどタブーである。
 しかし宗教はともかく、政治は生活に密接するフォーマルな話題のはずである。日本社会は「個」が確率されていないから、対立をさけるための知恵なのかもしれないが、欧米人の彼の目には奇異に映っただろう。
 国民性や歴史、文化のちがいはあるが、最近では個人が徐々に「沈黙の大衆」から脱して、声を上げはじめている。それはとてもいいことだと思う。(*_*)
(photo:能登、黒島にて)