発作的振り返り

 だれに頼まれたわけでもないのに、けっこう頻繁にこのヨタ文を書いている。賞賛や報酬、あるいは攻撃があるわけでもなし、よくつづいているものだ、と自分でも思う。
 なにが原動力になっているのか。よくよく考えてみてもよくわからない。始めてしまったかぎりはやめられないのか。それでは日本のお役所仕事ではないか。
 ひとついえるのは、一定の数の方々が読んでくれている、ということである。人々の役に立つことを書いているわけではないので、不思議といえば不思議である。
 とはいえ、無名のどこの馬の骨のようなオッサンかわからないような男の書くヨタ文に、ネットを開いたついでにちょっと寄ってくれる人たちがいる、ということはやはりうれしい。馬の骨の素性がわかっている人たちもいるだろう。
 もちろん、自惚れてはいない。ポイントは、「ついでに寄る」ということかもしれない。あくまで、ついで、なのである。それでいいのである。
 で、日々の駄文のネタさがしにもけっこう苦労するのだが、考えてみればなにも締め切りがあるわけでもなく、ネタがみつかるまで待てばいいのである。
 そうするとおそらく、なまけ者の僕は適当な理由をつけて書かなくなってしまうだろう。ようするに、3日坊主の日記である。
 で、つづけるためにはモチベーションが必要なのである。それが、読者のため? 自分をわかってもらう快感? いやまてよ、わかってもらっているかどうかわからない。逆効果かもしれない。
 そもそも、わかってもらったところでいいことはないかもしれない。しかも、ネット上にずっと残るから、おろかな行為かもしれない。つまり、功罪相半ば、ってところだろう。
 ーーなどと考えると、「功」の部分があやしくなってくるなぁ。(-。-;)
(photo:雲南省麗江にて)