山のあれこれ

 この夏はひとつ、久しぶりに山小屋を利用して2〜3泊歩いてくるか、とひそかにたくらんでいたのだが、準備運動のつもりで日帰り山行を繰りかえしていたら、いつのまにかスズムシやコオロギが鳴く季節になってしまった。
 と、ふと計画の狂いに気がついたのは、先週行った西穂高の稜線でである。すでに寒い。じっとしているとジャケットが必要である。秋の気配だった。
 ところで昨今は、すっかり中高年の登山が定着した感がある。でも今夏歩いたかぎりでは、以前より若い人も増えたようである。喜ばしいことだ。
 自分もきっちり老境の入口にさしかかっている人間ではあるが、山で出会う人々がことごとく高齢者では、まるで『楢山節考』の世界である。それはちょっとシュールである。
 山ガールブーム、などともいわれている。たしかにファッショナブルな女性を見かけるようになった。同時に、服装が浮いているオバサン、オジサンも平気で歩いている。
 装備やウェアの進歩はいちじるしい。そのおかげで、初心者でも実力が底上げされるようになった。エベレストが大衆化したのも、そんな事情が後押ししている。
 山小屋もけっこう変わってきている。小屋に滞在しているかぎりは、下界の民宿とさほど変わらない。稜線から下の小屋では、風呂が使えたりするのである。もっとも、山域によってもずいぶん差があるようだがーー。
 しかし、夏のシーズンや連休のアレだけはなんとかならんものか。
 たしかに、タタミ一畳に2人3人、阿鼻叫喚地獄の収容所生活は貴重な体験である。そんな、たぐいまれな体験はこれまでずいぶんさせていただいた。
 でも今夏は、収容所体験はいいから、せめて寝返りを打ってもとなりの収容者に息がかかったりかけられたりしないような、いわゆる空いている日を精査しているうちに、今日を迎えてしまったのである。
 じつは、テントという手もあるのだが、自炊セット一式を背負っていかなくてはならず、もはやとっくに現実的な選択とはいえなくなっている。
 侍従でもおればその者にまかせられようが、出自が卑しいゆえ夢物語であり、そんなことよりも自重を重力に逆らって持ち上げることさえやっとのことなのである。(;_;)
(photp:西穂山頂から奥穂方面の岩稜帯を望む。2009年)