自発的無償行為者とは?

 僕は外国人に日本語をおしえている。いわゆるボランティアである。ほんとうは、仕事としてちゃんとやりたいのだが、残念ながら北陸ではまったく就職先がない。
 また中国にでも行けば? といわれそうだが、お家の事情もあるからそうもいかない。
 私塾のように外国人をあつめて営業する、という手もあるが、だいたいアジア系の人たちが多いので高い授業料を巻きあげるのはむずかしい。
 ようするに、あちこちでやっているボランタリーな日本語教室は、民業を圧迫しているのである。と、毒づいてもしかたがないのだがーー。
 ときどき、ボランティアやってるってえらいね、などといわれたりする。
 それは全然ちがう。何がえらいのかわからない。ボランティアはとくべつな行為ではない。それに、何も奉仕の精神でやっているわけではないからね。
 もともとボランティアということばは、フランス語源の英語で、「自主的に行動する人」のことをさす。だから、大多数の日本人がイメージするボランティア像とはちょっとちがうかもしれない。カタカナ語ではなく、もっと適切な日本語をつくるべきだった、と思うんだがな。
 阪神淡路大震災の年は「ボランティア元年」といわれている。あれ以来、日本の社会にボランティア精神が広く浸透し、根を下ろしたのである。
 それ自体はとてもいいことだし、ボランティアが活躍するNPO組織が市民権を得てきたのも評価すべきことだろう。
 しかし、ボランティアということばは、どうも浮いているような気がする。どこかこそばゆいのである。
 それは、かつて自分が「グラフィック・デザイナー」を名乗っていたときの感覚に似ている。業界ではそれが通り名になっていたからやむをえなかったが、よく人から、どんな仕事をするの? ってきかれたものだ。
 ま、いずれにしても、安易に外国語をそのままカタカナにしてはいけない。外国人もこのカタカナ語には手こずるのである。もともと日本語ではないから、さらに理解しにくいのである。
 で、日本人のボランティアに対する感覚というのは……そのうちまたあらためて考えてみたいと思う。
 ところでボランティアには、「志願兵」という意味もあるからちょっとおどろく。(^_^;
(photo:ツマトリソウ。栂池自然苑にて)