オリンピックの一喜一憂

 連夜のサッカー観戦でやや寝不足である。
 「なでしこ」の決勝進出は見事というほかはない。終盤のフランスの猛攻は、ほんとうに心臓に悪かった。過呼吸になるかと思った。女子の粘り強さには、あらためて感心する。
 ところが男子のほうは、精彩を欠いていた印象が強い。モチベーションとしては、どうもベスト4で満足してしまったように感じたのだが、いかがなものだろうか。
 オリンピック直前のメキシコとの壮行試合には勝っていたが、どうやらあれはメキシコの調整試合だったのだろうか。本気モードの彼らはやはり強かった。
 サッカーなど肉弾相打つチームスポーツでは、どうしても体格差がハンディである。アジア人は戦わずしてすでに不利な立場におかれている。
 かといって、柔道やボクシングのように階級を設定しても興味を削ぐだけだろうし、カテゴリーがひとつだからこそおもしろいし価値があることはいなめない。
 そういえば我が国の相撲だって階級がない。階級制の相撲など想像してもつまらない。そのかわり細かいルールは必要だろうけれど。
 そうすると、階級というのは何だろう? などと考えてしまう。競技としての枠組み、と考えればそれでいいのかもしれないが、同じ競技に世界チャンピオンが何人もいる、というのもおかしなものだろう。
 たとえば、ボクシングはいったい何人いるのだろうか。もちろん命にかかわるスポーツだから、階級を設定しないと危険なことぐらいは理解できるが、競技界の都合を優先するあまり人気を落としているのではないだろうか。
 スポーツにかぎらず、ハンディや不公平はあらゆるところに存在する。
 たとえば英語。英語を母語とする国に生まれれば、ほとんど外国語の勉強をしなくてもいい。公用語とする国でもかなり有利だろう。
 そうすると、僕たち日本人のように非英語圏の者は、語学に費やす時間と費用はものすごくハンディである。
 まあそんなこんなではあるが、「なでしこ」の最後の大一番は見のがせない。もちろん男子も3位決定戦に勝ってほしいが。
 いずれにしろ、「なでしこ」の帰国便はビジネスクラスになるのかな。(・0・)
(photo:クロユリ浄土山にて)