薬品と生活

 今日はアメリカシロヒトリ(アメシロ)の消毒があった。この炎天下、町内を巡回消毒してまわった町内会の雄志の方々には、ごくろうさまといいたい。
 この北米産の蛾はときどき集団発生して、その幼虫はバラ科やブナ科、カエデ科などの木々を丸裸にしてしまう、かなりの雑食性なのでまったく始末がわるい。
 このあたりは古くからの農村だったところで、町の中心となる地域は集落を形成している。ところが、市街に近いこともあって戦後は開発がすすみ、今では農業で生計を立てる世帯はおろか、ほとんどが稲作から手をひいてしまっている。
 そんな集落だが、屋敷林だけはまだけっこう残っている家も多く、この夏の時期に一斉にアメシロ消毒するならわしが今でも残っている。
 僕が子どものころは、家の中を一斉に消毒する日もあった。外ではない。中である。
 動力付きの大きな散布機が家々をまわって歩き、玄関から家のなかに散布口を向け、勢いよく白い薬剤を噴射していた。当然家中の窓や戸を閉め切り、薬剤が外に逃げないようにしておくのである。
 家のなかの空気が落ち着くまで家のなかに入れなかったが、考えてみるとずいぶん荒っぽく恐ろしいことをしていたものだ。あれはおそらくDDTだったのだろう。
 農村部では一般的におこなわれていたのかもしれない。また、以前は水稲の消毒などもひんぱんにあり、農家では薬品を取りあつかうことが多く、「消毒」という行為を危険視したり、消毒薬に抵抗感を持ったり、ということがなかったのだろう。
 集落が形骸化し、新興の人たちが多数になってきた今となっては、このアメシロ一斉防除の終焉も近いかもしれない。
 集落の崩壊とともに失われていくものは多い。そんななかには、悪しきならわしもあったのだろうけれど、文化という観点から考えてみると少しさみしい。
 我が家のうしろの休耕田が、ずっと雑草におおわれていた。ところが、一週間ほど前から徐々に赤茶けた大地に変貌していった。
 持ち主が除草剤を撒いたのだが、よくもまあ狭いとはいえない面積に根気よく散布したものだ。
 たしかに雑草はやっかいなものだが、農家の意識を変えるのもまたやっかいだろう。農家というより農協かな? 農政かな? まあ、たぶん行き着くところは、諸問題とまた同じなんだろう。( -_-)
(photo:雷鳥の親子。見つけてください。浄土山にて)