そんなに冷やすのもいかがか

 盛夏だからしょうがないとは思うが、ついつい「暑いね」というあいさつをしてしまう。ときには天候を呪うことばを、ひとりブツブツとつぶやいてしまう。
 我が家は集落の端にあり、北と東方面は田畑である。夜になれば水田をわたる風が涼しさをはこんでくるのだが、それでも近年は熱帯夜にたびたび見舞われる。
 長年エアコンなしの生活をしてきたが、家族の事情もあって数年前に何台か設置した。
 もうかなりくたびれてきた家は、間取りも有機的ではなくムダなスペースが多い。そんな家の部屋単位のエアコンで困るのは、空調されている部屋とそうでない部屋との落差である。
 全館空調なら電力以外の問題はないが、その温度差によって体調が狂うので具合が悪い。つまり、身体が夏仕様になっているのに、むりやり冷やすから負荷がかかるのだろう。会社勤めのころはそれでよく体調を崩してしまった。
 先日の東京では、16日の猛暑での集会とデモ(17日の記事)より、いろいろな建物に出入りした前日のほうが圧倒的に疲れた。原因は建物のなかと外の温度差である。
 節電セツデンと叫ばれているわりには、東京のビルのなかは寒かった。冷房に対応できない田舎者だからかもしれないが、明らかに冷やしすぎである。東電と手を切った会社やビルががんがん冷やしているのかもしれないが、仮にそうだとしてもそんなところは全体からみればまだ少数だろう。
 東南アジアへ行くと、冷やすのもひとつのサービスと思っているらしい。店舗やビルの冷房合戦がくり広げられている。あそこが20度ならうちは18度でいくぜ、などといった消耗戦はないとは思うが、とにかく細身にはこたえる。
 中国でもそうだった。あの巨大な国全体を思うと、どれだけエネルギーがあっても足りないのではないか、とさえ思う。
 二酸化炭素がどうのこうのとか、省エネがどうしたとかいわれているが、人間一度楽を知ったら元にはもどれませんぜ。原発だってしかたないだろう。
 ということで、フランスでは大きく原発へと舵を切ってしまった(もちろん国策ですが)。ま、脱原発運動などそうとうな覚悟をもってやらないと、おゆるしくだせ〜お代官様、になりかねない。
 日本は今ならまだ間に合うのである。(¨;)
(photo:上海朱家角にて)