カラスの都合

 集会(前記)の前日、時間があったので代々木公園へ行った。東京に住んだことはないが、仕事やプライベートではけっこう足をはこんだ。でも、代々木公園ははじめてだった。
 その日も午前中からぐんぐん気温が上がっていた。広い園内は、コンクリートの熱気から逃れてきた人たちでかなり賑わっていた。
 公園には、ノーテンキで人を食ったような鳴き声を発する、あの黒い連中もたくさん集まってきている。
 カラスである。連中もここで集会でもするのか、というくらいの数である。しかも、やかましい。しかも、傍若無人だ。東京にはほんとうにカラスが多い。
 数年前用事があって、江戸川区の臨海町緑道というところを歩いた。樹林が延々とつづく細長い公園の途中で一服しておにぎりを食べた。頭上が騒がしくなってきたので見上げると、かなりの数のカラスが僕を見下ろしていた。
 追い払おうと思ったが、集団的自衛権を行使されて付近の同胞が応援にかけつけてきたらたまらない、と思いなおした。だいたい奴らの目つきがおかしい。形勢不利をさとり、身の危険を感じてその場をはなれた。
 上海では、ほとんどカラスを見かけなかった。その理由はというと、彼らのエサとなる残飯がないのだという。そんなバカな。
 残飯は、夜間から早朝のあいだに浮浪者があさっていくという。そんな話しを上海人から、まことしやかに聞いた。ほんとうかどうかはわからないが、カラスがいない公園は確かに落ち着いた。
 春先我が家のせまい庭に、オナガという容姿端麗な鳥がしばしばやってくる。その華麗な姿は目を引き、春の到来とともに楽しみのひとつである。
 しかしおどろいたことに、彼らはカラスの仲間だった。
 カラスを嫌うのは、人間の都合である。彼らに罪はない。それはわかっているのだが、仲良くできそうでもない。
 食料資源ととらえて、いっそのこと食べてしまおうか、と考え実行しようとした人もいる。でも、臭くて不味くて食えたシロモノではなかったそうである。
 食えないところでは、なんだかいっしょうけんめい既得権を守ろうとしている人々とダブってしまうけれど、それはちょっといいすぎかしら。(^_^;
(photo:ヨツバシオガマ立山にて)