あいまいなヨーロッパの私

 僕の背丈は176cmほどなので、日本ではけっして小さいほうではない。しかし、あたりまえだが、ヨーロッパの国々を歩いていると、どうやら中の中ぐらいのようだ。
 さほど胴長短足でもないつもりだが、彼らの足の長さと比較する気は起きない。もちろん東洋人のような体型の人たちも見かけはするが、それはあくまで個体差のばらつきだろう。
 要は骨格がちがうのである。肉の付きかたもそうとう激しい。日本のヒステリックなメタボの基準など、ちゃんちゃらおかしく思えてくる。ま、そういう方々も堂々としておられる。
 僕は日本で外国人に日本語をおしえているが、総じて白人系は、そこが他国であっても自己を保ち主張する。ときには我が儘にも映るが、個が確立しているのだろう。
 ところが僕などは、外国にいても日本人的なあいまいさが出たり、よけいな妥協をしてしまうことがある。ことばの問題もあることはあるが、やはり典型的な日本人になってしまうケースがある。
 つねに日本人の代表のような気持ちを持って、現地の人たちと接するよう心がけているのだが、たちまち荷が重くなるので放棄するのも早いのである。
 国際社会で日本の存在感はうすい、といわれている。政治の舞台での話しだが。その外交ベタはまったく情けない。正直というか、うまく駆け引きするテクニックを持ちあわせていないようにみえる。
 くわしく調べたわけではないが、どうも我々同胞は外国人にたいして素直になってしまう傾向があるのではないだろうか。とくに欧米系白人にたいして。
 コンプレックスとはいわないまでも、狩猟民族と農耕民族のDNAのちがいがなせる技かもしれないし、たんに島国根性のなせる技なのかもしれない。
 いずれにしろ、敵対の歴史を経てきたドイツとフランスが、がっちり手を組んでEUを守ろうとしている姿にくらべると、アメリカの下僕に甘んじ中国とまともな付き合いができない日本は、はるかかなたに霞んで見える。
 昨日、ヘルシンキにもどってきた。抜けるような青空は、パステル調でやさしい。しかし風はさわやかである。(*_*)
(photo:上はシベリウス公園。下はヘルシンキの踊るおばさんたち)