チェコスロバキアとの出会い

 学生時代の友人A君は、僕と正反対の性格だった。
 ハンドボールで鍛えた体型はがっしりしていて押し出しが強く、それでいて嫌みがなかった。豪放磊落かといえば感性も豊かで、体育会系的なにおいはしなかった。
 ふとしたことから趣味が同じということがわかってからは、よく話しをするようになった。
 CESKOSLOVENSKO――。チェコスロバキアの切手には、そう国名が表示されていた。その当時はまだチェコスロバキアは同じ国だった。
 彼はチェコの切手のコレクターだった。彼の性格やふんいきからは想像がつかない趣味に、僕はおどろいた。どうしてチェコの切手を集めているのか、聞いたのかもしれないが、忘れてしまった。でも熱心な収集家だった。
 僕はといえば、イギリス切手を集めていた。ビートルズが好きだ、あるいはシャーロック・ホームズのファンだ、といったところのずいぶんミーハーで単純な動機だった。
 たしかチェコスロバキアの切手は、ほとんどスイスのクールボアジェ社の印刷で、凹版印刷主体の繊細で落ち着いた色づかいが特徴だった。でも彼と知り合うまで、東欧諸国の切手にあまり興味はなかった。
 プラハの街はツーリストでごったがえしている。歴史の時間を軽々と生きてきた建物が、そこここに存在する。その歴史には宗教が色濃くからんでいる。
 教会に入れば荘厳な建築様式におどろき、趣向をこらした装飾に感嘆する。しかし、そこから伝わってくるのはどこか寒々とした歴史の体温である。どれだけ人の血が流され、今歩いている石畳の道も、どれだけ多くの人の血を吸ってきたのかわからない。
 このところ、欧州危機が叫ばれている。でもプラハではそんなにおいを感じ取ることができない。
 とにかくビールがうまい。安い。種類がありすぎ。バーが多い。ビールが水がわりだ。つまみを食べない。
 ――さすが発祥の地だけのことはある。(^-^)
(photo:上は旧市街広場。下は黄金小道)