日本人の居場所

 気持ちのどこかで、いつも放射能汚染を気にしながら生きていかなければならない日本をのがれて、いっとき安息を得たい、と思うほどノーテンキではないつもりである。
 じつをいうと、日本人は石持て追われるのではないか、などと本気で思っていた。
 まあ、実際そういう行動にうつす人もいないとは思うが、やはりどうしても日本人としていささか肩身がせまい、という気持ちがある。
 しかもこの期に及んで原発再稼働である。世界からみれば Why? であり、常軌を逸した決定である。外国にいると、とくにここヨーロッパでは、日本人にたいして嘲笑の目が向けられているような気がして、多少なりとも居心地が悪い。
 嘲笑ならまだ穏やかだが、やや怒りをふくんでいるとすればこちらとしても落ち着かない。なにせ原発事故は地球規模の被害になるから、極東のおバカな国の問題として済まされないからである。
 もし再度高レベルの事故が発生したなら、もうそれで日本は終わりである。円は暴落し、食料も石油も買えなくなって、寒さや暑さのためや餓死者が続出する。
 外国に資産も持っている金持ちは国外に逃げることもできるだろうが、一般庶民は日本列島に閉じ込められ、日本は “犯罪国家” の汚名とともに、自分で自分の始末をつけることになろう。たぶん、日本に手をさしのべる国などないだろう。
 その程度のことは容易に想像がつく。SFではなく、一歩まちがえばかんたんに現実となるから恐ろしいのである。
 そんな大事なときに、のほほんとヨーロッパ旅行をしていていいのか、といういくらかの後ろめたさもあるが、そのかわりにプラハの旧市街広場で行き交う世界の人々に向かって土下座したところで、新手のパフォーマンスかと思われるのがオチであろう。
 プラハのカレル橋や旧市街では、旅情を盛り上げてくれる芸達者な路上パフォーマーがたくさんいる。
 ここにいると、自国のことを冷静に考えることができる。日本から遠くはなれた効用だろうか。表面上は、日本人といっても問題はない。ほっとしてはいるが……。(^_^;
(photo:上はカレル橋にて。下は市民会館)