小樽で観光地について

 たとえば、電車に乗って車窓からながめる風景は、全国どこへ行ってもだいたい同じように見える。とくに都市部はそうである。
 鉄道が民営化されJRになってよかった点は、会社ごとに特徴が出てきたことである。車両やサービスが多様化して、利用者の楽しみがふえたともいえる。
 ところが、観光地というのはどうして金太郎飴のように画一化してしまうのだろうか。おそらく、観光資源よりも商売を優先してしまうからだろう。
 小樽の町を歩いた。小樽といえば古くからの商業都市として、運河や町並みで有名なのだが、町中に点在する古い建築物の印象がとてもうすいのである。よく見れば、ふんいきのある建物がかなり残っているのだが、それらが主役になっていないのである。
 土産物屋が軒をつらねるのはおなじみだが、あまりに商売が前面に出ていて、小樽にいることを忘れてしまいそうになる。
 海鮮物がうまいのはわかるが、寿司屋がちょっと多すぎないか。しかもだいたい値段が高い。そうなれば、おいしくてあたりまえだろう。
 小樽にケチをつける気は毛頭ないし、まあそれは日本の観光地の典型例であるから、そういう需要も認めたうえで否定はしない。
 旅慣れた者は、またべつのものを求めればいいのである。そういう需要の受け皿も、旅というものが少し成熟したこの国にはまだ残っているのだから。
 中国では国内観光のブームである。少し豊かになった層の観光意欲はすさまじい。有名観光地は阿鼻叫喚地獄である。ツーリズムの黎明期なので、それもやむをえない。
 しかし、東アジア系の人々の観光スタイルというのは、どうも似かよっているような気がする。
 札幌の大通り公園は、ライラック祭りのさなかだった。五月晴れの休日はたくさんの人でにぎわっていた。そんな公園の日だまりのベンチで、ひとり静かに読書する白人女性が妙に印象的だった。(^-^)
(photo:小樽運河と倉庫群。寒かった)