ライラックの香りと街の香り

 いろいろな作家のエッセイなどを読んでいると、旅先やその移動中に原稿を書いたりするシーンが登場する。それはずいぶんカッコイイなと、自分には関係ないながらも、そう思っていた。
 今札幌にいる。じつは昨日の昼、ホテルに着いてからパソコンを開いて夕方まで仕事をした。ある製品のパンフレットのレイアウトだから、できあがったものをPDFにして送ればいいのである。
 インターネットがあってこそできる芸当であるが、先日も書いたが、これを便利になったといって喜んでいいのかわからない。ましてや売れっ子作家のように、カッコイイと形容していいのかもわからない。
 そもそも、こちらに来る前に終える予定だったものが、クライアントとの調整でズレ込んだだけの話しで、ドジとかマヌケといったたぐいの形容がふさわしい。
 少なくとも、毎日ほとんど仕事関係の電話が鳴らないような境遇だから、まったくぶざまといっていいくらいである。
 ともあれ、札幌は思ったより暖かかった。もう少し気温があがると、地元の人たちは一気に夏の装束になることだろう。暑さの感じ方が、僕たちとはちがうはずだからである。
 そのことに気がついたのは、学生時代にはじめて北海道の地を踏んだときである。そこは、北陸とは明らかにちがう空気に囲まれた、まさしく冷涼の地だったのである。
 ところが、地元の人は暑さに顔をしかめ、今日は暑いですね、などとあいさつをかわす。その皮膚感覚のちがいにおどろいたものである。北方民族ほどではないにしても、おそらく汗腺の数がちがうのだろう。
 そんな札幌は、今ライラックの花盛りである。適度に刺激的だがさわやかさが勝り、ほどよい余韻のあといさぎよく消えてしまう、というようなその香り。
 ライラックだけではなく、あらゆる草木の花が一気に開花したような、まぶしい春を今むかえているようである。
 一方、電車に乗ってもバスに乗ってもデパ地下で買い物をしても、目につくのは高齢者ばかりなのである。まあ、平日の昼間だからむりもないが、日本全国どこへ行ってもこの光景から逃れられない。
 それはなにも高齢者のせいではないことをお断りしておくが、あまりにも清々しい陽春の街を歩いていると、そんな世代の偏りは、情景として少しバランスを欠いているように感じてしまうのである。
 もっとも、自分だってバランスを取るほうに属するわけではないことは自覚しているが。(^_^;
(photo:札幌、羊ヶ丘にて)