見張り塔に登る

 山へ行きたいと思いながら、いつのまにかずいぶん遠くはなれてしまった。あわてることもないのだが、少しブランクができてしまったので、とりあえず山適応力の劣化が心配である。
 若いころはとにかく頂上に立つことが目的だった。僕のような渡世術では、とてもサラリーマン世界の高みに立つことはできないので……というわけでもなく、単にバカなだけかもしれないが。
 つまり、高いところが好きだったのかもしれない。でも中年にさしかかってからは、頂上がとくに目的ではなくなった。成長したといえるかはわからない。体力が落ちただけなのかもしれない。
 しかし、人間というのはやはり高い場所が好きなのだろうか。
 東京スカイツリーが開業した。この手のタワーとしては世界一の高さだそうである。中国の広州塔がくやしがって悪態をついているらしい。
 開業の過熱ぶりに、復興と対比させて眉をひそめる向きもあるが、これはこれでいいのではないかと思う。フィーバーの陰で、よからぬことが進行しないように注意する必要はあるが、まあ総論賛成としておこう。
 個人的には当面ツリーに行くつもりはない。そのような人工物にさほど興味はない。でも、見ると登りたくなるから、近寄らないようにする。いつもそうやってまんまと乗せられ、というか登らせられるのもしゃくだからである。
 でも上海では結局、あのランドマークたる東方明朱電視塔や金茂大廈、香港ではうっかりsky100に登ってしまった。
 そういえば国内でも、東京タワーをはじめ数々のタワーや高層建築物に登ったようだ。マイナーなところでは、小矢部のクロスランドタワーや、子どものころ行った東尋坊タワーなども記憶に残っている。
 上から見下ろすという行為は、人間が感じる快感のひとつのようである。もちろんすべての人がそうではないにしても、「高いところ」には人間の気持ちを高揚させる位置エネルギーが存在し、そこに人々は惹きつけられるのではないのだろうか。
 ボブ・デュランではないが “All Along the Watchtower(見張り塔からずっと)” である。そんな気分なんだな、つまりは。(-。-;)
(photo:上海、金茂大廈にて)