ネットは便利だけどさ…

 アマゾンは便利なのでついつい利用してしまう。でも、本はほとんど買わない。本は本屋で、手にとって買うにかぎる。通販では、本を買う楽しみがないからである。
 でも、地方の本屋では手に入らない本はしょうがない。通販を利用する。本屋で注文したところで味気なさは変わらないのだから。
 そんな便利なアマゾンだが、頼みもしないのに、過去の購入履歴を参考にときどき商品の販促をしかけてくる。
 でも、その手にのったことはほとんどない。じつにズレているのである。ユーザーの心理はそれほど単純ではないのである。まだまだ甘いな、と思う。
 ところが、アマゾンなら多少のうざったさをがまんすればいいが、最近では一部の検索エンジンでもそういうユーザーフレンドリーな、こざかしい機能がはたらいているらしい。
 つまり、過去の検索履歴から検索者の趣向性を割り出して、それを上位に提示するというサービス。
 これなどは、うざいというより不気味でさえある。頼みもしないのに、あらかじめ情報が制限されてしまうのである。
 ネットがあれば便利なことも多い。しかし、なにかひとつ便利になれば、なにかひとつ失うのである。それはこれまで、便利になった、といって喜んできたあれやこれやを思い返せば思いあたるだろう。
 たとえばこのブログもそうである。たくさんの人が、こんなヨタ文を読んでくれることは、ほんとうにありがたい。でも、僕はこの場で空っぽ頭をさらし、遠吠えのような主義主張やおろかな考えをあきらかにしている。
 それはネット上のどこかにずっと残り、あるいは拡散して消えることがない。また、誰がどこで利用しているのかもわからない。もっとも、利用価値の問題もあるが。
 考えてみれば、薄気味悪いことである。それは、今はやりのSNSも同じである。
 今日び連絡手段として、メールはできない、などといえば、高齢者でないかぎりけっして暖かい目でみてもらえない。郵便や電話のかわりにメールが幅をきかせる。便利かもしれないが、何かやはり失ってはいないだろうか。
 IT社会の行く末に一抹の不安をおぼえる。(*_*)
(photo:長浜の大魔神