こどもの日の、とくべつな夜

 内灘町というところがある。我が町からはちょっと遠く、車で30分ぐらいかかるのだが、用事があってときどき足を運ぶ。
 五木寛之の小説『内灘夫人』の、あの内灘である。でも、僕の用事は色っぽい話しではまったくない。
 町には鳥取砂丘に次ぐ規模の砂丘がある。戦後まもなくそんな砂丘を舞台にした、米軍の試射場をめぐっての反対運動である「内灘闘争」で、町の名は全国に知れわたった。闘争は『内灘夫人』の背景にもなっている。
 その「内灘闘争」に今とくべつ関心があるわけではないが、ぶらりと立ち寄った「内灘町歴史民俗資料館/風と砂の館」は、そのことを記録し紹介した点が興味深く、異色だと思った。
 館内の展示パネルや映像からは、当時の住民運動の勢いというか必死さが伝わってくる。最終的に米軍撤収に追い込んだ結末は、圧倒的な住民パワーとともに、この国では画期的なできごとであった。
 しかし、ストして座り込んだり抗議の声をあげる人々に、女性が目立つのである。
 そういえば、原発撤廃をもとめて霞ヶ関で座り込んでいるのもおばちゃんたちである。福島の女たちも怒りまくっているし。
 もちろん男も怒っているのだが、おそらく、女性の本能にもとづく行動にはかなわない。
 歴史は夜つくられる。つまり、女によってつくられる。女が本気を出すと恐いのは、たいていの男は知っているのだが。
 日本の稼働原発がゼロになるという。今夜にもそうなるらしい。やはり歴史は夜つくられるのだろうか。
 それでおもしろくない人たちがたくさんいるらしい。一方で、とりあえずニヤリと笑っている人もおおぜいいる。
 電力不足はどうするのか? 停電になってもいいのか? などと、脅しのように迫られたりするが、それは僕たち個人が心配する問題ではない。営利企業である電力会社が考えることである。彼らが、安易な料金値上げに走るときに声をあげればいい。
 「内灘闘争」は50年以上むかしのことだが、時代の空気はあのころより明らかに淀み、弛緩している。余裕かましている余裕はないんだけど……。
 ん〜家のまわりの田んぼのカエルは、今日も元気である。ま、とりあえずビールかな。(-。-;)
(photo:西田幾多郎記念館にて)