カエルが鳴くころ

 サラリーマンを辞めて自営業になってからは、ゴールデンウィーク(GW)などの国民的連休にとくべつな感慨はなくなってしまった。
 とはいえ、勤め人だった連れ合いや子どもたちが休みだったので、家族としてのGWはやはり世間に準じていた。
 そして、長年我が家のGWを印象づけていたのが「田植え」である。
 この地方はこの時期、ちょうど田植えがさかんなのである。でもそれは、GWにたまたま重なったのではなく、おそらく「第2種兼業農家」という事情によって、しだいにそうなっていったのだろう。
 だから、数年前父が生きていたころまで、GWの当面の関心事は「田植え」だった。田植えの日が決まるまで、遊びの予定は立てられなかったのである。
 ところが、事は自然相手なので、GWがまぢかに迫るまでXデーがはっきりわからないのである。しかも、予定していた田植えの日も、天候のせいでかんたんにずれてしまうのだ。
 残念ながら天候不順のため今年は中止にします。というわけにはいかないのである。
 父の晩年は水田も少なくなり、作付けが単一品種ならばほぼ一日で終わってしまうような面積にすぎなかったが、それでも先祖代々の家業をないがしろにできなかった。ずいぶん前から赤字だったけれどね。
 僕が中学生のころまでは、田植えはまだ機械化されておらず、我が集落も「結い」の制度が機能していた。そのころはまだ稲作収入もそこそこあった時代なので、勤めを休んで何日もかけて、グループを組んだ家々の田に人海戦術で田植えをしていくのである。
 それが、米価の下落と農作業の機械化によって事情は一変していった。上記のとおり、我が家などは、田植機の稼働率が最悪年間1日なのである。なんとおろかな、現代日本農業の縮図だろうか。
 今はもう法人組織の農家に全面委託してしまったので、苗の成育にやきもきすることなく、空を見上げてああ〜などと声を上げることもなくなったが、何の障害もなくGWに突入してしまっていいのだろうか、といささかとまどうのである。
 身に染み込んだ感覚というのは、そうかんたんに消えてなくならないようである。しかし、田植えが終わり、カエルが鳴く水田の風景というのは、やはりいいものである。(^-^)
(photo:もう限界。撮影後、花を切り落とした)